碪山薬王院
長専寺
浄土宗
★☆☆
お乳
八劔神社
伊藤氏参拝済
中央四国霊場第26番札所
中央四国霊場第27番札所
- 住所・電話
- 〒807-0051 福岡県遠賀郡水巻町立屋敷3丁目13-13 標高:2.8m 地図 GMAP 093-201-3642
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歴史
伊藤氏メモ初めは真言宗であったが、のち浄土宗に転派して400年を超える。浄土宗になってから30世を数える。 以前は現在地より数百mほど北、国道3号線の立屋敷信号交差点の付近にあったという。
梵鐘は明治20年(1887)に鋳造されたものであったが、戦時供出された。その後、昭和57年(1982)に再鋳されるとともに現在の鐘楼山門として落慶された。()
ひとくちメモ
長専寺は遠賀川の東岸に程近い所に伽藍を構えている。 境内には鏡観音堂・子熊薬師堂・地蔵堂があり、法然上人像もみられる。 本堂前には、藤棚がある。
鏡観音堂は謡曲「砧」の話の主人公の夫を待ち焦がれる妻と関連しているようである。 残念ながら、扉は施錠されており内部を拝むことはできなかった。 詳細はこのページの後半の記事をご覧ください。
長専寺のすぐ西側には八劔神社が鎮座している。
写真
八劔神社
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境内の案内板によれば、境内にある大銀杏はヤマトタケルのお手植えと伝承され、樹齢1900年という (樹高:22.26m、幹回周:9.7m。県指定天然記念物)。必見である。 銀杏の古木にみられる乳垂(気根)も大きなものが生えている。 この銀杏の樹皮を煎じて飲めば母乳が出ると伝えられ「乳の神様」と呼ばれているという。
『筑前國続風土記附録』巻之31 遠賀郡 貞 館屋敷村の項に下記の記事がみられる。
八剱大明神社(神殿3間社拝殿2間3間・石鳥居1基・祭礼9月19日・奉祀松本山城)
村の北大川[1]の辺にあり。 廣渡并此村の産神也。 祭る所の神ハ日本武尊・兩道入姫命・素戔嗚尊也。 相殿に志賀明神・砧姫をも祭れりといふ。 元禄7年光之[2]公神祠再建し玉ふ棟書あり。 境内に保食神社・銀杏の神木あり。
謡曲「砧」と鏡観音
下に鏡観音堂前の案内板の内容をそのまま記載する。 謡曲「砧」については『砧』―夫への想いが強すぎて地獄で苦しむ女を参照のこと。
謡曲「砧」と鏡観音
謡曲「砧」は、夫と遠く離れた妻の恋慕の執心を生前、死後の両面から描いた曲である。
ここ遠賀郡水巻町立屋敷は、古くは館屋敷とも書いた。 前の遠賀川は寛永5年(1628)以前はずっと西を流れていた。 当時立屋敷は対岸の広渡と同一村であった。
謡曲「砧」の主人公は川下の港町芦屋の某の妻、芦屋の某の住んでいたのがこの里ともいい、 「砧の里」の伝承を残している。
鏡観音は昔は「砧姫明神」ともいい、 慶長6年(1601)に村内にあった砧姫の墓と伝える古墳より出た直径8寸の鏡を祭っていた。 後に観音の木像を祭り、鏡は八劔神社に移した。 その鏡も貞享元年(1684)正月に盗難にあい失われた。
隣接の八劔神社にも日本武尊と砧姫の伝承があり、 砧姫社を相殿に祭るという。 寛永の工事で社地が河川敷となったため合祀したという。 鏡観音との関係は詳らかでない。
謡曲史跡保存会
「砧」は訓読み「きぬた」、音読み「ちん」。 砧 - Wikipedia参照のこと。
『筑前國続風土記拾遺』巻之33 遠賀郡 亨 立屋敷村の項
◯長専寺
村内馬寄せと云所に在。 砧郷山増導院(或ハ砧山藥王院)と号。 浄土宗鎮西派穴生村弘善寺の末也。 慶長年中(1596-1615)僧珠賢開基す。 昔此村に砧山神宮院増導寺有。 乱世に廃せり。 此寺其の昔の山院の号を取て称す。 又長専寺の号ハ中底井野に在しを引移せし号也。 又此末寺に昔ハ真龍寺有しと云フ。 藥師の古佛有。 小熊藥師と云。 昔小熊の里に在し故也。 爰を馬寄と云ハ昔駅館有し時の遺名なるへし。
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