玉雲山
龍昌寺
[龍昌禅寺]
曹洞宗
★★★
紅葉
仁王門
伊藤氏参拝済
井上周防の墓所
岡垣四国霊場第16番
遠賀川川西四国八十八ヶ所霊場第52番札所
- 住所・電話
- 〒811-4234 福岡県遠賀郡岡垣町大字高倉1154 標高:44.4m 地図 GMAP 093-282-0329
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歴史
境内の説明板の内容を抜粋して記す。
岡城を築城したと伝えられる麻生家延の孫麻生弘茂の開基で、長門国深川の大寧寺 八世足翁永満禅師が開山。1490年ころの創建と思われる。
麻生弘茂の子隆守は天文15年(1546)に大戸の家臣瓜生貞延に攻められ、 内浦の海蔵寺で自刃した。その後、瓜生貞延が岡崎に居住し支配したので、 龍昌寺は衰退した。
慶長5年(1600)黒田長政が筑前国に入り、守りを固めるため国内に六つの城を築き武将を配置した。 そのうち井上九郎右衛門周防之房[1] (井上道柏 ・井上周防 以下井上周防)は豊前方面に対する備えとして黒崎城を築き、 八幡、遠賀一円を領地した。
井上周防はもともと信心深く禅門に入っていたが、閑寂、幽邃の龍昌寺を愛し、ここを菩提寺に定め 元和3年(1617)に再興した。
(県指定文化財) 紙本奢色黒田如水像・紙本奢色井上周坊像
(町指定文化財) 紙本奢色釈迦八相涅槃図・井上周坊の墓
参考:『筑前國続風土記』。
ひとくちメモ
龍昌寺は岡垣町の山林内にひっそりと伽藍を構えている。 本堂裏手の山全体が龍昌寺の寺域となっている。
本堂脇から長い石段を登って行くと両脇には多数の石仏があり、その先には鐘楼・不動明王像・大師堂・平和観音菩薩像などがある。 この石段はあまり目立たないのでお見逃しなきよう。 また、山門の屋根の絵、本堂の昇龍の彫刻・鐘楼の屋根の絵。みごとである。 説明板にも記載されているがまさに閑寂、幽邃のお寺である。
本堂裏手には井上周坊、竹井伊豆守、瓜生長門守の墓所がある。
伊藤氏メモまさに閑寂、幽邃。仁王門・本堂裏の井上周防の墓所はぜひともです。★3つも納得の山裾の古刹です。本堂は自由に上がれますし、この時期はアジサイも見られます。()
写真
不動明王像の前の石燈篭 本堂 本堂の龍昇額 本堂の扁額 仁王門(拡大) 仁王門 - 境内より撮影 仁王門の天井の絵 仁王門の仁王像 仁王門の仁王像 鐘楼 鐘楼(拡大) 鐘楼の屋根の絵 鐘楼台からの眺望 慈母観音堂 長順法印の供養堂-無実の罪で切腹させられた。 井上周防の墓所(本堂裏) 井上周防の墓所(本堂裏) 井上周防の墓所(本堂裏) 竹井伊豆守の墓所(本堂裏) 瓜生長門守の墓所(本堂裏) 奥の院 平和観音菩薩像 不動明王像 大師堂 参道 - 高倉神社から撮影 参道 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景 境内風景
『筑前國続風土記』巻之14 遠賀郡上の項
龍昌寺(禪宗)
玉雲山と號す。 高倉村にあり。 麻生彈正弘繁是を創立せり。 開山は足翁永満和尚と云。永正2年(1505)に寂せり。 然ば其、前明應(1492-1501)文龜(1501-1503)の比建立せしなるべし。
長門國深川泰寧寺の末寺也。 中比廃亡に及びしを、長政公の家臣井上周防入道道栢再興して、 如水公長政公両君の位牌を安置せり。 道栢没後此寺に葬る。 墓所あり。
長政公の長女林光院寄進し玉ひし涅槃像あり。 其位牌も爰に安置せり。 林光院は井上道栢の長子淡路室也。 淡路没後尼となり、林光院と稱す。(淡路は江戸直参の士となる。)
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