松原山
安楽院
浄土宗
★☆☆
ヨガ
伊藤氏参拝済
遠賀川川西四国八十八ヶ所霊場札番不詳
遠賀川川西四国八十八ヶ所霊場第67番札所
- 住所・電話
- 〒811-4211 福岡県遠賀郡岡垣町吉木2506 標高:17.3m 地図 GMAP 093-282-7932 ホームページ
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歴史
伊藤氏メモ仁和元年(885)に谷阿上人が初代開山して以来、1100年以上の長い歴史を持つ寺院である。現第60世。 仁治3年(1242)、四条天皇が御歳16歳で崩御。近侍の官女は悲嘆のあまり、菩提を弔い諸国修行天恩法事、 九州に下り、寛元4年(1246)安楽院に参拝し18世萬谷上人から授戒を受け、この地に6坊の草庵を結び、四条天皇の菩提を弔い供養しながら、正念往生した。6官女の結んだ草庵のうち、現存するのは、櫻之坊(櫻姫)吉木西の三福寺、及び小竹之坊(小竹姫)内浦の長源寺の2寺である。(『安楽院記念誌』より)()
観音堂には右から順に「本尊聖観音」「川西四国67番札所」「本尊 子安観音」「川西新四国第■■■■■」「岡垣四国霊場」の札が掛けられている。
ひとくちメモ
安楽院は吉木の町の北の高台にひっそりと伽藍を構えている。その裏手は景勝三里松原である。 子安観音堂内の左右の大きな黒い仏像は、火災により炭化したもののようである。
伊藤氏メモ本尊の木造阿弥陀如来立像は、にぶく黒光りする歴史を感じるものである。境内の子安観音堂は川西四国第67番札所。()
写真
山門 全景 (写真中央が本堂)- 裏手の駐車場より撮影 子安観音堂内(中央は薬師如来のようである) 向かって左手の黒い仏像 - 子安観音堂内 向かって右手の黒い仏像 - 子安観音堂内 中央は薬師如来その他は尊名不詳 - 子安観音堂内 石造五重塔 石塔
本堂前の案内板の内容
安楽院
寺伝によると
「三里松原の高台、高浜の辻に最初は建立されました。
仁和元年(885)谷阿上人がこの地に七堂伽藍全部を備えた 法相宗の大寺を建立しました。 寺院の西に九重の塔があり、夜は灯をともし灯台の役目を果たしたそうです。 第23世繒阿上人の代に法相宗を浄土宗に改め興隆しました。 その後明応3年(1494)第28世空誉上人の代に阿口判官が大友義連と戦い、 この寺にたてこもり防戦しましたが敗れました。 この時塔をはじめ伽藍すべてが兵火にかかり、旧記、什器ことごとく灰になりました。」(岡垣町史及び寺伝より)
その後元和元年(1615)に再建され、さらに安永元年(1772)現在地に再建されたものです。
町指定文化財
- 絹本著着色湟槃図
- 木造阿弥陀如来立像
- 鰐口
『筑前國續風土記付録』巻之28 遠賀郡 元 吉木村
安楽院(浄土宗 佛堂4間5間)
松原山と號す。内浦長源寺末寺也。
(中略)
子院も六坊ありしか、兵炎にかかり塔堂ことごとく消失せり。しかれども年月を伝へす。 其後ハ久しく廃寺となりしか、寛永7年(1630)源誉といふ僧此所に寺にを再建し、其號を移せりといふ。 寺説に四条院御宇、官女6人下向せしか、皆此所にて死せり。 其追福に立たる寺なるゆへ、官女の名をとりて子院6坊主の號とせしとぞ。所謂5坊ハ
- 櫻坊(三福寺なり。櫻姫か為に立つ。)
- 藤坊(松原村民家の境地にあり。藤姫か為に立つ。)
- 小竹坊(内浦村長源寺なり。小竹姫か為に立つ。)
- 井上坊(コノシタ今のゆぐし堂也。井上姫か為に立つ。)
- 白藤坊(其跡詳ならす。)
- 相藤坊(其跡詳ならす。)
叉境内に地蔵堂あり。いも地蔵といふ。 もと松原村十王堂の邊にありしを、何の頃にか此所に移せり。
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