教薗山
真浄寺
浄土真宗本願寺派
☆☆☆
薩摩街道
- 住所・電話
- 〒838-0122 福岡県小郡市松崎834-2 標高:22.1m 地図 GMAP 0942-72-3708
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歴史
境内にある「本派復帰の碑」のことが気になり少し調べてみた。 詳細な情報は無いが、真浄寺の歴史は久留米藩の真宗大谷派への転派令に関連しているようである。 (歴史ど素人の作者の推測で誤っているかもしれません。)
江戸期にこの地には浄土真宗本願寺派の光応寺があり、ある時藩命により真宗大谷派に転派させられて存在していた。 大正期に入り、この光応寺が真宗大谷派から浄土真宗本願寺派に転派して寺号を真浄寺と改め、 元々の真宗大谷派の光応寺が、福岡市の現在の地に移転したものではなかろうか?
下にこの推測の元になった事実関係を列挙する。 「本派復帰の碑」の「本派」とは浄土真宗本願寺派の事ではなかろうか?
- 真浄寺境内に大正11年8月銘の「本派復帰の碑」がある。(石碑の裏の文章は劣化して完全には判読不可能であるが、 山梨県の真浄寺の名跡を継いだような記録が見られる。)
- 『筑後河北誌』の江戸末期の松崎宿図を見ると現在の真浄寺の位置に光応寺があったことがわかる。
- 現在福岡市博多区箕島に真宗大谷派 光応寺があり、 『福岡寺院探訪』の同寺の解説に「もとは三井郡小郡松崎にあったといわれており、大正13年に現在の地に移転した」とある。
久留米藩の転派令については、筑紫野市 光伝寺のページに詳しく記載されている。 薩摩街道 松崎宿も参考にして下さい。
ひとくちメモ
真浄寺の位置は、薩摩街道 松崎宿の南の外れである。 この位置は同宿の南枡形とは至近距離である。 宿場内にあった、松崎城・本陣(御茶屋)の防衛の一翼を担わされていたのかもしれない。
境内にはクスの大木がある。 山門は歴史を感じさせるものとなっている。
写真
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