仏旗 瑞松山 霊鷲寺(りょうじゅうじ) [靈鷲禪寺] 臨済宗南禅寺派  RYOUJYUUJI ZEN TEMPLE 筑後三十三箇所観音霊場第7番札所 西牟田三ヶ寺

  • 参道口
    参道口 
  • 本堂
    本堂 
住所・電話
〒838-0122 福岡県小郡市松崎111-1 標高:23.2m MAP GMAP 0942-72-4432 
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歴史

伊藤氏メモ寺伝によると、当寺は乾元元年1302、西牟田弥次郎家綱公によって三潴郡西牟田村(現:筑後市)に創建された。 開山は、家綱公の次男で鎌倉建長寺の大覚禅師(蘭渓道隆)の法孫の雲山元怡(うんざんげんい)禅師である。

西牟田時代の霊鷲寺は薬師如来を本尊に、諸山の寺格を持つ五山派の寺院であった。 後二条天皇から「瑞松山霊鷲禅寺」の寺額と勅願所の綸旨を賜り、続く室町時代も後土御門・後柏原天皇の勅願寺であった。 盛時は、塔頭を11、西牟田村近辺に末寺20ヶ寺を擁する格式ある大寺院であったという。 しかし、天正年間1573-1592の龍造寺・大友の兵火で寺院は焼失。西牟田家も没落して寺勢は衰退した。

寛文8年1868、久留米藩主有馬頼利公の養息・伊予守豊範公が1万石で松崎に分知されたのを機に、その菩提寺として霊鷲寺は延宝8年1680に松崎の現在地に移転、京都の正伝寺から劫外(こうがい)禅師を中興開山の住職に迎えて再興された。

本尊は、聖観音像。本堂左手の仏殿に安置される薬師如来像が、西牟田時代の本尊で、寺とともに松崎に移ってきたものである。この辺りの地名・薬師町は、この薬師如来像に由来する。(『筑後の寺めぐり』より)()

本堂南側には薬師堂があり、享保一揆を鎮めた久留米藩家老稲次因幡の墓がある。 参道口の案内板の内容を本ページの最下部に記す。

新版 福岡県の歴史散歩 (新全国歴史散歩シリーズ)』の寛元寺の項によれば、 かつては寛元寺(筑後市西牟田)・正覚寺(現:久留米市寺町)と共に「西牟田三ヶ寺」として信仰を集めてきたという。

門前は長崎街道 山家宿から松崎宿府中宿を経由して遠く薩摩に至る 薩摩街道である。

ひとくちメモ

参道口から楼門まで50mほどの参道の先に楼門がある。 参道の両サイドにはヒノキが一列に並んでいる。壮観である。 楼門外側右手には、観音堂・地蔵堂がある。

楼門をくぐると左手にうらゝか観音像がある。いいお顔をされておられる。 本堂に向って左手には「瑞光殿」と記された扁額のある薬師堂がある。 稲次因幡の墓所はその薬師堂の裏手にある。

門前には薩摩街道を挟んで地蔵堂があり、中には等身大の地蔵像が現代風のコートを着て立っておられる。

本堂に向って右手の庫裏の建物は歴史を感じさせる造りとなっており、 昔ながらのガラス戸がなかなか渋い。


写真

  • 本堂
    本堂 
  • 観音堂(本堂に向って左手)
    観音堂(本堂に向って左手) 
  • 楼門 - 境内から撮影
    楼門 - 境内から撮影 
  • 楼門
    楼門 
  • 楼門の扁額
    楼門の扁額 
  • 楼門 - 本堂を背にして撮影
    楼門 - 本堂を背にして撮影 
  • うらゝか観音
    うらゝか観音 
  • うらゝか観音
    うらゝか観音 
  • 観音堂・地蔵堂
    観音堂・地蔵堂 
  • 庫裏
    庫裏 
  • 参道 - 楼門を背にして撮影
    参道 - 楼門を背にして撮影 
  • 剪定されたクスの大木
    剪定されたクスの大木 
  • 楼門前のカエデ
    楼門前のカエデ 
  • 稲次因幡の墓所(本堂裏手)
    稲次因幡の墓所(本堂裏手) 
  • 門前の地蔵堂内部(コートを着ておられる)
    門前の地蔵堂内部(コートを着ておられる) 
  • 門前の地蔵堂
    門前の地蔵堂 
  • 門前の薩摩街道(この三叉路を左手に進むとほどなくして松崎宿である)
    門前の薩摩街道(この三叉路を左手に進むとほどなくして松崎宿である) 

稲次因幡公彰徳(参道口の案内板の内容)

享保13年17288月、生葉、竹野、山本、三郡の農民は藩の重税に堪えず、減税運動の一揆を起こした。 総勢5700余人が凶器を持ち、善導寺に集まり御井町まで押寄せた。27才の若年家老、稲次因幡正誠は単身主謀者と会見して、

  1. 農民の要求に応ずる。
  2. 以後の税は一割一歩減税。
  3. 主謀者の処刑はしない。

という約束の下に解散させて農民の苦しみを救った。 喜んだのは農民だったが、 家老仲間の不満、藩公の怒りは後年藩主襲封の問題とからんで津古の庄屋斉田氏宅に幽閉させられ3000石の家老から10人扶持の士となり、2年後没した。

享年35歳。罪ある身だったので、この墓地に葬った。 後年、久留米に五穀神社が建立されるにあたり、公の霊を合祀して永く農民の神として仰ぐことにした。

昭和50年2月 小郡市教育委員会 小郡市郷土史研究会


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