仏旗 池上山(しじょうさん) 随専寺(ずいせんじ) 浄土宗  ZUISENJI TEMPLE 伊藤氏参拝済

  • 本堂
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  • 山門
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  • 雲心寺図(左手より瑞泉寺(現:随専寺)・雲心寺・西徳寺の順に描かれている) - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵
    雲心寺図(左手より瑞泉寺(現:随専寺)・雲心寺・西徳寺の順に描かれている) - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵 
住所・電話
〒822-0034 福岡県直方市山部567 標高:12.6m MAP GMAP 0949-22-2453
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歴史

筑前國続風土記拾遺』巻之29 鞍手郡 上 山部村の項に下記の記載がある。

隋専寺

本村雲心寺の南に在。 池上山白蓮院と号。 浄土宗鎮西派宮田村極楽寺に属す。 延宝元年1673極楽寺の住僧経誉開基す。 寺内に池有。 中嶋に辨財天堂あり。

門前にある案内板の内容を下記に記す。

随専寺と諸九尼(しょきゅうに)浮風(うふう) 比翼塚

随専寺は古くは「瑞泉寺」と書き、一帯の旧町名が「泉町」であるように、 湧水の豊富なところであった。 昭和初年までは寺の周囲は蓮池であり、 池の小島に弁天堂が浮かぶ風光明媚な一帯であった。 寺の山号「池上山」はこのことに由来する。 現在、弁天堂は寺の前に移されている。

寺の裏手の墓地には江戸時代の俳人諸九尼・有井浮風の比翼塚がある。 浮風の本名は有井軍治義保。 直方藩士に生まれ、年少のころから俳句に親しんだ。 松尾芭蕉の高弟・志太野坡(しだやば)の門下に入ったが、病を得て俳諧師となった。 諸九尼は筑後竹野郡(現・浮羽郡)中原村の庄屋の妻で、名を「なみ」といった。 俳句の師匠である浮風と出会い、やがて意気投合し駆け落ちした、 京に登った二人は精力的に俳諧活動をおこない、 多くの門下生を育てた。 諸九は、なみの俳号である。

浮風が宝暦12年1762に61歳で没すると、諸九は剃髪して各地を行脚し、俳諧活動を行った。 安永6年1778直方にもどり、山部に草庵を結んで浮風の菩提を弔い、 俳諧の生活を送って天明元年178168歳の生涯を終えた。 比翼塚は遺徳をしのぶ弟子たちによって建てられたものである。

平成15年6月30日 直方市教育委員会(寄贈 直方ロータリークラブ)

案内板の下に明治時代の随専寺の全景図が載っている。 門前には広大な蓮池があったようである。

ひとくちメモ

随専寺はJR筑豊本線直方駅の南西の丘の中腹に伽藍を構えている。 門前には弁天堂があり、その脇の石段を登ると境内である。

にお参り。 本堂にお参りしていると、境内の清掃を行っていた若い女性の方がおられたので会釈をした。 その方の身なりは完全虫よけ体勢で、頭には虫よけのネットが付いた麦わら帽子。 作者が「比翼塚はこちらですか?」と尋ねるとその方は「今はちょっと。。。」。 作者が怪訝な顔をすると「比翼塚は山道を歩いて頂上付近です。今の時期は蚊が多くて、その服装では無理です。」 蚊ぐらいは我慢するつもりでさらにヘビ恐怖症の作者が「ヘビが出そうなところですか?」と尋ねると「大丈夫。ヘビは人が通ったら逃げますから。」。だが、作者はヘビは見るだけで飛び上がるほど怖いのである。 と、いうわけで比翼塚はヘビの出ない季節に改めてお参りすることとする。(泣)

伊藤氏メモ比翼塚の場所は、本堂裏手から始まる山道を歩いて一番先の方にあります。途中で道左右にあるお墓がいったん途切れますがそのまま前進します。 道が終わる所(最後にやや右にカーブして行き着く所の道右側)に比較的近年のものと思われる墓碑があります。 道側とは反対側からその墓碑を見ると「湖白庵浮風諸九墓」との刻字が見えます。 また、その墓碑の先の方には小さな塚が二つ並んでいます。山道を歩いていきますが、距離・勾配とも問題はありません。()


写真

  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 弁天堂
    弁天堂 
  • 山門-境内から撮影
    山門-境内から撮影 
  • 全景
    全景 
  • 門前の風景
    門前の風景 
  • 梵鐘
    梵鐘 


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