heritage 大興山永満寺(だいこうざんえいまんじ) 雙林院(そうりんいん) [双林院] 天台宗 ☆☆☆ 長崎街道 伊藤氏参拝済

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〒822-0017 福岡県直方市殿町14-18   標高:10.5m 地図 GMAP 0949-22-2190 
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歴史

伊藤氏メモ雙林院は東蓮寺藩主館跡にある。

直方は江戸時代の前半(1623-1720)に福岡藩の支藩が置かれた城下町であった。 元和9年(1623)初代福岡藩主黒田長政が亡くなると、その遺言で四男高政に東蓮寺藩4万石(福岡藩の支藩)が与えられた。 また、長政の遺言では「鷹取古城のあたりを治めよ」ということであったが、福岡藩家臣の井上周防(いのうえすおう)や吉田壱岐らにより、少し離れた当地が選ばれ、寛永2年(1625)ここに東蓮寺藩最初の藩主館が建てられた。 館には土塁や水濠があったといわれ、その周囲には武家屋敷(殿町)と町人の居住地(古町)が作られた。

延宝3年(1675)3代藩主長寛のとき東蓮寺藩は直方藩と改名された。 初代高政・2代之勝がいずれも若くして亡くなったことから不吉だと考えられたためだといわれている。

元禄元年(1688)長清が直方藩主(東蓮寺藩から通算して4代目)となり、その際藩主館が現在の直方市体育館西側の御館山(おたてやま)(妙見山)に作られることになった。 元禄5年(1692)新しい藩主館が完成した。城下町も南側に拡張され町人の住む新町などが開かれた。

元禄11年(1698)鷹取城下の永満寺村にあった雙林院が現在地(東蓮寺藩主館跡)に移された。(直方地域観光地づくり推進委員会パンフ『直方歴史紀行』より)()

Linksのページによれば、この付近に藩の陣屋があったという。 寺の西側は長崎街道であった。 参考:『筑前國続風土記附録』

ひとくちメモ

記憶にあるだけで、3度目の参拝であった。 いつも固く門を閉ざしているので、境内に参拝後に掲載しようと思っていた。 が、記憶が薄れる前に掲載することにした。 (写真はかなり古いものになっている。記)

写真

  • 表札
    表札 
  • 境内の石仏 - 塀の外より撮影
    境内の石仏 - 塀の外より撮影 

『筑前國続風土記附録』 巻之26 鞍手郡 中 直方村の項

雙林院(天台宗 護摩堂方3間。本編に詳也)

天興山永満寺と號す。 比叡山の末寺也。 長淸君[1]より地産50石を寄附し給る。 其例に依て今もしかり。 境内に天満宮・稲荷社・観音堂・太子堂あり。

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脚注