高尾山安養院
真如寺
[眞如寺]
浄土宗
★
SHINNYOJI TEMPLE
赤間道
歴史
『筑前國続風土記』巻之13 鞍手郡の項に下記の記載がみられる。
○真如寺浄土宗鎮西派、宮田村極楽寺の末寺
高尾山と號す。植木町にあり。 長政公より寺領10石寄附せらる。
「文禄の役1592-1593のとき徳川家康が香徳寺に立ち寄ったおり、真如寺に宿陣した」と延宝7年1679に書かれた真如寺に伝わる『高尾山真如寺縁起』に書かれているという。 (その時の住職は弾誉上人という。筑前席田郡月隈村の生まれ。永禄年間1558-1570に三河国の大樹寺で修学したという。)(『太閤道伝説を歩く』より)
門前の道は、遠賀川の対岸の長崎街道木屋瀬宿より船または浅瀬を徒歩にて渡河し(当時軍事上橋はなかった)、 植木町に入り、 猿田峠を越え、その先の唐津街道赤間宿に至る所謂赤間道である。
赤間道はほぼ黒田藩専用の街道であった。
また、真如寺は鞍手郡亀甲山宝池院 長谷寺に縁のある寺であった。
参考:『筑前國続風土記拾遺』
ひとくちメモ
真如寺の裏手は遠賀川で境内にはカッパの置物がある。 遠賀川沿線は川の氾濫の被害の悲話が多くこの置物もそれに関連したものかもしれない。 確か、中間市の市役所近辺にもカッパの像があったように思う。
写真
『筑前國続風土記拾遺』巻之30 鞍手郡 中 植木村の項
○眞如寺[1]
本村に在。 浄土宗鎮西派宮田極楽寺末也。 高雄山安養院といふ。寺内に墓高4尺余なる有。
小早川隆景卿1533-1597の夫人に仕へし白拍子高雄といへる女あり。 後に尼となりて 眞如 と云。 死後に隆景卿渠か為に一寺を建立し、寺産を寄給ひしといふ。隆景卿よりは30石なり。 今に寺産10石有。 此寺始は町の大塘の辺今天満宮□□にありしか、水災を然らん懼れて玆に迁せり。[2] 寺内観音堂地蔵の銅像有。
脚注
関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)
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