高倉山
高蔵寺
真言宗九州教団
☆☆☆
筑前国中三十三観音霊場第24番札所
歴史
伊藤氏メモ高蔵寺は黒田家初代藩主長政公の祈祷寺として建立された。開創の時期は不詳だが、その治世の期間を考えて慶長年間(1596-1614)の後半、1610年頃と推定できる。
もともと高蔵寺は祈祷を主とした檀家を持たないお殿様寺であったという。昔は寺格も高く、当然ながら祈祷料としての扶持や藩主から寄進された田地もあり、それなりに寺産も多いお寺であったのであろう。その他にも近隣の住人からの依頼で各種の祈祷を行っていたという。農耕の主動力を牛馬に頼っていた時代は、本尊が馬頭観音の高蔵寺には近隣の農家から大事な牛馬の安穏を願うお詣りも多かったらしい。
現在、お寺の代表者は先代高倉開演住職の令嬢の高倉妙演師で、先々代の高倉秀道住職までは高蔵寺の専従住職で、住居も寺に隣接してあったという(現在は空き地)。しかし、先代の25世開演住職が清水寺(宮若市黒丸1558-1)との兼務住職となり、住居も清水寺に移り、高蔵寺は無住となった。高蔵寺のご朱印は清水寺でいただける。平成8年に先代開演住職が亡くなられると、男子の後継がいなかったので清水寺の住職は退き、平成12年に妙演師が高蔵寺代表に就任した。
現在の観音堂は昭和58年に先代の開演住職と関係者の尽力で改築された。なお、昔この観音堂には東蓮寺藩の初代藩主黒田高政公が寄進した絵馬があったと『筑前国続風土記附録』は記している。(『筑前の寺めぐり 』より) ()
ひとくちメモ
高蔵寺は鴨生田の巨大な湖のほとりに伽藍を構えている。 境内は、観音堂を囲むようにして無数の石仏が鎮座している。 本堂左手にはかなり広い藤棚もある。 寺内は夏草が生い茂り、かなり荒れている。
にお参りしたが、ヘビ嫌いな作者は気が気ではなく観音堂の前まで行けなかった。 写真もヘビがこわくて逃げ腰のものになっている。 次回は、冬場にお参りに行こう。
写真
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