壽光山
圓徳寺
[円徳寺]
浄土真宗本願寺派
☆☆☆
長崎街道直方
伊藤氏参拝済
- 住所・電話
- 〒822-0027 福岡県直方市古町2-7 標高:7.7m 地図 GMAP 0949-22-0532
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歴史
寺の北側の壁に設置された案内板の内容を下に記す。
圓徳寺の由来と本堂鬼瓦
浄土真宗本願寺派寿光山圓徳寺。 寛永元年(1624)黒田高政公が東蓮寺(直方)藩をおこし、 城下町形成のおり、 鞍手郡植木町より圓徳寺をこの地に移したのが始まりである。
当初は城下町の出入り口のひとつ「植木口」(今日の須崎町商店街)に面しており、ここをまもる要害として建てられたことがわかる。
現在の本堂は明治41年(1908)貝島炭鉱創始者、貝島太助兄弟が発起し、 門信徒一同が総力をあげて建立した。 棟梁は京都の東本願寺本堂や大師堂を手がけた名工、帝室技芸院 伊藤平左衛門第9世と第10世であった。
昭和27年(1952)直方市都市計画により、本堂並びに諸堂宇を現在地に移し、駅前大通りと須崎公園が誕生した。
また、平成10年から始まった圓徳寺本堂修復事業は、第12世伊藤平左衛門の設計監理の下で行われた。
なお、この鬼瓦は明治41年の本堂建立当初の棟瓦である。 重量約400kg、幅3m、高さ2.5m、奥行54cmで三州瓦製の秀作である。
ひとくちメモ
本堂の前面の扉の細工は凝った造りをしている。 境内に阿弥陀堂のあるお寺も珍しいものである。 寺の北側の壁際に案内板と共に展示されている旧本堂の鬼瓦は巨大である。
写真
本堂 山門 鐘楼 本堂前の扉 本堂前の扉の装飾(凝った細工が施されている) 阿弥陀堂 阿弥陀如来 - 阿弥陀堂内 「世の中安穏なれ 佛法弘■」の看板 境内風景 - 本堂を背にして撮影 梵鐘 盤水 鬼瓦 喚鐘
阿弥陀如来立像と貝島太市
伊藤氏メモ境内阿弥陀堂にある阿弥陀如来立像は、筑豊御三家の一つ貝島炭鉱を経営した貝島太市(太助の四男)(1881-1966)の寄進で、昭和29年(1954)に開眼法要が営まれた。貝島はその挨拶で「貧乏だった子ども時代、父母に導かれ壁に貼った阿弥陀如来図で教えをいただいた」と回想している。 石仏開眼には芸術院会員の画家・堂本印象(1891-1975)が絡む話も残る。 京都西本願寺本尊の阿弥陀如来像を堂本が揮毫。この絵を基に仏像彫りで名高い京都市の石材店が庵治石にて彫像したという。(「西日本新聞(平成20年2月21日)」より)()
『筑前國続風土記拾遺』巻之31 鞍手郡 下 直方町の項
圓徳寺
古町(新入口)に在。 真宗西福岡光専寺の末院也。 元禄14年(1701)5月木佛寺號を許さる。
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