heritage 月瀬八幡宮(つきせはちまんぐう) [猫城跡] 神道 ☆☆☆ 底井野往環

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〒809-0003 福岡県中間市上底井野1693-1   標高:3.4m 地図 GMAP 093-244-1824 
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歴史

月瀬天満宮前の案内板の内容をそのまま記す。

猫城跡()(Site Of Neko Castle)

猫城(ねこじょう)は、室町時代に麻生(あそう)氏の端城(はじろ)として築かれたといわれ、 その城跡には、現在、月瀬天満宮の社殿があります。

城跡の丘陵には、高さ約20メートルの円錐状で、すそ野には水濠の名残りがみられます。

山鹿(やまが)城の麻生元重(あそうもとしげ)宗像大宮司氏貞(むなかただいぐうじうじさだ)は、 数度の合戦に及ぶも決着がつかず、天正6年(1578)、遠賀川の東は麻生領、 西は宗像領となります。 氏貞は、家臣吉田倫行(よしだりんこう)雑兵(そうへい)150余人をつけ、猫城に配属します。

天正8年5月、豊後の大友氏(立花雪道(たちばなせつどう)の説もあり)の指令を受けて、 鷹取城(たかとりじょう)毛利鎮実(もおりさねとも)が攻め込みますが、 宗像勢は激戦の末、これを打ち破っています。 頂上からは、遥に宗像・鞍手(くらて)・遠賀が一望され、要塞の地であったことが想像されます。

「猫城」の名の由来は、定かではありませんが、「猫が背を丸めた姿に見える」とか「敵が攻めて来れば高くなり、 攻め下るときは低くなり、まるで猫のようだ」との言い伝えがあります。

中間市教育委員会

門前の道は底井野往環である。

ひとくちメモ

月瀬天満宮の本殿には、天保3年(1832)正月銘の狛犬が鎮座している。願主は小田清七郎と刻まれている。 小田清七郎の姉は歌人の小田宅子で鞍手の国学者の伊藤常足に師事しすぐれた和歌を残しているという。 宅子は弟が成人後は、生家の隣に醤油製造業をはじめたという。(Links① より

写真

  • 本殿内の絵馬(「黒田藩主宿驛之図」- 寛永15年2月の銘)
    本殿内の絵馬(「黒田藩主宿驛之図」- 寛永15年2月の銘) 
  • 境内から眺める底井野の街並
    境内から眺める底井野の街並 
  • 猫城跡の石碑
    猫城跡の石碑 
  • 本殿脇の狛犬(天保3年の銘)
    本殿脇の狛犬(天保3年の銘) 
  • 本殿脇の狛犬(天保3年の銘)
    本殿脇の狛犬(天保3年の銘) 

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