heritage 屏風山(びょうぶさん) 鎮国寺(ちんこくじ) [鎮國寺] 真言宗御室派 ★★★ 紅紅梅 ツツジ 菩提樹 キンモクセイ 九州西国霊場第31番札所 宗像四国東部霊場第74番 百八観音霊場第106番札所 九州三十三観音霊場第1番札所 九州三十六不動霊場第34番札所 九州八十八ヶ所百八霊場第88番札所 筑前国中三十三観音霊場第19番札所 西日本ぼけ封じ観音霊場第33番札所 九州八十八ヶ所百八霊場第108番札所奥の院

住所・電話
〒811-3506 福岡県宗像市吉田966   標高:31.8m 地図 GMAP 0940-62-0111  ホームページ
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歴史

大同元年(806)弘法大師開基の寺院。 本尊は、大日如来・釈迦如来・薬師如来。これらは宗像三柱の本地仏。 本堂は慶安3年(1650)藩主黒田忠之により再建。 建立当時は瓦葺きであったが、のち茅葺きに変わり、昭和54年の解体修理のときに銅板葺きとなった。

護摩堂では毎年4月28日に不動明王立像(重文)のご開扉と採燈護摩供が営まれる。(以上のホームページより)

参考:『筑前國続風土記

ひとくちメモ

鎮国寺は三方、山に囲まれた高台に伽藍を構えている。西の釣川の対岸には宗像大社が鎮座し、 その近辺には古墳などもあり歴史を感じる場所である。

境内には、本堂・護摩堂・大師堂・文殊堂・奥の院などの建物があり、特に本堂と奥の院はかなり古い建物である。

鎮国寺への参道は東西二ヶ所ある。西側参道が表参道のようである。 東側の参道口からは乗用車で一気に境内まで登って行ける。広い駐車場もある。

春は、薄紅梅、秋はカエデ、などなど。季節折々に多くの種類の草木を楽しむ事ができる。

余談ではあるが、境内にふれあい観音様が立っておられ、 別名”だきつき観音”と立て札にある。 抱きつきたかったが周囲の目もあり、握手だけで済ませた。残念。

イベント情報(今日から1年間)

○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○

日時内容備考状態
2024-04-28()
(10:00〜15:00)
火渡り柴燈大護摩供秘仏「身代わり不動明王」の御開帳に合わせ、無病息災祈る護摩焚きが行われます。 読経のなか願い事が書かれた護摩木を焚いて所願成就を祈願し、修験者たちが素足で燃え尽きた炭の上を渡ります。その後に一般参詣者も続きます。確定

写真

  • 護摩堂
    護摩堂 
  • 左から庫裡、新古院、護摩堂、本堂
    左から庫裡、新古院、護摩堂、本堂 
  • 護摩堂前のかえる
    護摩堂前のかえる 
  • 護摩堂の扁額
    護摩堂の扁額 
  • 本堂内
    本堂内 
  • 境内風景 - 右が本堂、左が大師堂
    境内風景 - 右が本堂、左が大師堂 
  • 文殊堂
    文殊堂 
  • 文殊堂内部
    文殊堂内部 
  • 不動明王
    不動明王 
  • 境内風景 - ぼけ封じ観音
    境内風景 - ぼけ封じ観音 
  • 境内風景 - ふれあい観音(だきつき観音)
    境内風景 - ふれあい観音(だきつき観音) 
  • 聖観音像
    聖観音像 
  • 聖観音像のお顔
    聖観音像のお顔 
  • 遠景 - 西の釣川の対岸から撮影
    遠景 - 西の釣川の対岸から撮影 
  • はなまつりの様子
    はなまつりの様子 
  • さる
    さる 
  • かえる
    かえる 
  • ふくろう
    ふくろう 
  • かえる
    かえる 
  • かえる
    かえる 
  • かえる
    かえる 

奥の院

奥の院
奥の院 
奥の院への参道の上り口
奥の院への参道の上り口 
奥の院参道 - 両側には数メートルおきに石仏様達がいらっしゃる。
奥の院参道 - 両側には数メートルおきに石仏様達がいらっしゃる。 
梵字岩 - 奥の院参道途中にある。三個所刻まれている。立て札には弘法大師御作とある。
梵字岩 - 奥の院参道途中にある。三個所刻まれている。立て札には弘法大師御作とある。 
奥の院の入り口
奥の院の入り口 
奥の院の扁額
奥の院の扁額 

奥の院への参道はかなり長い石段が続いている。よく手入れされている。 参道の石段の両脇には石仏様達が数メートルおきに鎮座している。 これは四国八十八ヶ所のミニチュアだそうである。


表参道

参道口(遠景) - 釣川の堤防より撮影
参道口(遠景) - 釣川の堤防より撮影 
参道口
参道口 
石段
石段 
山門
山門 
石段
石段 
宗像の山並み - 境内より西方向を撮影
宗像の山並み - 境内より西方向を撮影 

参道口には山門があり、かなり長い石段を登っていかねばならない。

足腰に自信のある方はこちらからどうぞ。

石段途中からは、宗像の山並も眺めることができる。


四季の草木

  • 本堂前の薄紅梅
    本堂前の薄紅梅 
  • 本堂前の薄紅梅
    本堂前の薄紅梅 
  • 境内の紅葉
    境内の紅葉 
  • 花見の様子
    花見の様子 
  • ハス
    ハス 
  • 金魚鉢
    金魚鉢 
  • 菩提樹の巨木(庫裡前にあり)
    菩提樹の巨木(庫裡前にあり) 
  • 菩提樹の花のツボミ
    菩提樹の花のツボミ 
  • キンモクセイ(庫裡の敷地内にあり)
    キンモクセイ(庫裡の敷地内にあり) 
  • 参道の石段両サイドに植えられているツツジ
    参道の石段両サイドに植えられているツツジ 

筑前國続風土記

屏風山鎮国寺図 - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵
屏風山鎮国寺図 - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵 
鎮国寺 図(巻之8宗像郡 - 現在のままの伽藍の配置が描かれている。奥の院への入り口もほぼ現在のままである。)
鎮国寺 図(巻之8宗像郡 - 現在のままの伽藍の配置が描かれている。奥の院への入り口もほぼ現在のままである。)
『筑前名所図会』

巻之17 宗像郡 下に下記の記載がある。

○吉田村(鎮國寺 京道)

吉田村の鎮國寺は屏風山と號す。眞言宗也。 田島の本社より山下の橋迄5町半、山下の橋より寺迄2町許有。

亀山院弘長年中(1261-1263)、僧皇鑒(これ)を開基す。 境地をば領主宗像大宮司長氏ほどこして堂舎を立、5社の本地の佛像を安置し、 鎮護國家の道場とす。 故に鎮國寺と云。

皇鑒より仁秀法印迄28世にて座主絶ぬ。 其後山伏住す。慶安3年(1650)、昌傅来て従持す。 山州仁和寺の末寺と成る。

5社の本尊とは大日(宗像第一宮の本地。)釋迦(第二宮の本地)薬師(第三宮の本地) 此3佛弘法大師の作といふ。阿弥陀(許斐山権現の本地、是は仏師定朝が作と云。)観音(織幡大明神の本地、是は傅教大師の作と云。)右の5佛(いずれ)も大成る木像也。 其製作の精巧なる事、畿内諸州にも稀に有也。 前國主忠之公、5佛の(だい)を5座作らしめて寄附し給ふ。 此5佛鎮國寺の本尊也。

(およそ)本地垂跡ち云るは、浮屠より云出せる事にして、神道に云る事にあらず。聊其云傅ふる事の由を記するのみ。

又此寺に太政官符有。文永2年(1265)と書り。且大宮司寄進状一通有。金胎両部の曼荼羅2幅有。唐筆にてうるはし。 大般若経1部有。五佛堂には鰐口鉦鉢有。五佛堂は昔より國主の造修これ有。

昔は此寺繁栄して、寺領も多く附たりといへ共、近代は寺領も絶て花蔵院と云一坊のみ残れり。 近き比花蔵院に、右に云し昌傅が弟清算と云僧住せり。始は高野山に住せしが、此國に来て住する事、40年に及べり。 然るに貞享元年(1684)3月21日より五穀を絶て木食し、同4年3月15日より断食し、21に67にして入定して死す。 希世の事なれば。四方より来見るもの多かりしとかや。 則花蔵院の後なる山上に葬る。

吉田村の前に道有。京道と云傳ふ。是より垂水内浦へ越す。 昔京へ上り行大道成しよしいへり。

『福岡県の歴史散歩』より

伊藤氏メモ寺伝によると弘法大師空海の開基とされている。 本尊の木造不動明王立像(国指定重要文化財)は鎌倉時代前期の作で、毎年4月28日にのみ開帳される秘仏である。

また、宗像五社(宗像三社・織幡神社・許斐権現)の本地仏に比定されている5体の木像(宗像五社本地仏)が、慶安3年(1650)に福岡藩2代藩主黒田忠之により建立された本堂に安置されている。

本堂裏の石段を上って行くと奥の院に至り、その岩窟には鎌倉時代に造られた線刻釈迦如来石仏がある。また、参道右手の丘には、「元永2年(1119)」銘の阿弥陀如来坐像板碑がある。 (『福岡県の歴史散歩』の記事より)()

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