仏旗 松岩山 宗生寺(そうしょうじ) [宗生禅寺] 曹洞宗★★★  SOUSYOUJI ZEN TEMPLE 筑前国中三十三観音霊場第18番札所 紅葉 ツツジ 唐津街道大穂町 馬頭観音堂庭園の美山門行基 三大観音 名島城の遺構

  • 本堂
    本堂 
  • 山門 - 名島城の搦手門を移築したものという
    山門 - 名島城の搦手門を移築したものという 
  • 境内の案内図
    境内の案内図 
住所・電話
〒811-3421 福岡県宗像市大穂937 標高:77.5m MAP GMAP 0940-36-2514‎
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歴史

山門右手にある案内板の内容をそのまま記す。

文明15年1483(文明3年の説もあり) 甲子(きのえね)正月、宗像十四城の一つ、許斐(このみ)城主多賀出雲守隆忠が、 亡父の追悼のために創立した禅宗(曹洞宗)の寺です。

山門は、名島城の搦手(からめて)[1]を移転したものと言われ、寺の後方には、 桃山時代の武将で筑前の領主であった小早川隆景の墓所があります。 隆景公が生前宗生寺の住職の禅を学び、死後は自分が帰依した七つの寺に骨を分骨せよといい遺したためです。

境内には、奈良時代の僧行基(ぎょうき)の作と伝えられる秘仏「馬頭観音(ばとうかんのん)」があり、 33年に2回、一般に開帳されています。(前回は平成2年1990、4月15~21日)

寺の庭園は第16世不文禅師が約200年前に造ったもので、 松岩山斜面にかけての約6000坪に、3000本あまりのツツジが植えられ、 見ごろの4月末から5月中旬ごろまでは、多くの人で賑わいます。

古くは「崇聖寺」と書いたそうですが、現在では「宗生寺」、いつの頃、どうして変わったかはわかっていません。

参考資料:『筑前の寺めぐり』の記事『筑前國続風土記』

ひとくちメモ

宗生寺は旧唐津街道が通過する大穂の集落より1kmほど山手に入った所にある。 本堂に向かって右手の急な石段を登ると杉木立の中に馬頭観音と延宝6年1678筑前藩主黒田光之が建立寄進した鐘楼堂もあり、広大な敷地面積である。

旧唐津街道を外れて宗生寺に至る参道には、清流が流れる水路、その両側に立ち並ぶ古い民家・林などがあり絶好の散策コースである。 境内・参道の民家には春は、梅・桜など、秋は本堂前のカエデなどあり最も良い散策の時期である。


写真

  • 本堂前のカエデ
    本堂前のカエデ 
  • 本堂
    本堂 
  • 不焼寺・宗生寺図 - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵
    不焼寺・宗生寺図 - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 山門 - 境内側より撮影
    山門 - 境内側より撮影 
  • 山門
    山門 
  • 地蔵菩薩像(本堂前)
    地蔵菩薩像(本堂前) 
  • 全景 - 本堂裏手の馬頭観音より撮影
    全景 - 本堂裏手の馬頭観音より撮影 
  • 石柱(元治-1865年の字が読める)
    石柱(元治-1865年の字が読める) 
  • 参道
    参道 
  • 門前の民家の梅
    門前の民家の梅 
  • 駐車場からの風景 - 民家前の梅・その先には桜
    駐車場からの風景 - 民家前の梅・その先には桜 
  • 民家前の桜
    民家前の桜 
  • 民家前の桜
    民家前の桜 
  • 庭園の梅の花
    庭園の梅の花 
  • 庭園の梅の花
    庭園の梅の花 
  • 庭園の梅の花
    庭園の梅の花 
  • 庭園の梅の花
    庭園の梅の花 
  • 庫裡前のワンちゃん。
    庫裡前のワンちゃん。 
  • 本堂右手の坂の途中の小早川隆景の墓所-その後は世代墓
    本堂右手の坂の途中の小早川隆景の墓所-その後は世代墓 
  • 喚鐘
    喚鐘 


『筑前の寺めぐり』の記事

伊藤氏メモ室町時代の文明15年1483、近くの許斐城(許斐岳城ともいう)の城主多賀出雲守隆忠公が亡父の菩提を弔うためにこの寺を建立、防州鳴滝の泰雲寺4世器庵祐歳禅師を迎えて開山とした。

許斐家とはその頃の宗像地方の領主宗像家唯一の分家で、世嗣無きときは互いに世子を出し合うという親しい間柄で、家臣の重鎮でもあった。許斐家の当主と一族8人の墓は今も宗生寺にある。

下って天正15年1587、筑前の初代藩主として入国した小早川隆景は宗生寺4世桂翁栄昌禅師に帰依し、知行200石を寄進してその菩提寺とした。 隆景公は慶長2年1597三原城(広島県)で没したが、生前の遺言で供奉4人とともに宗生寺に祀られている。 墓所は本堂の左側に建つ納骨堂の斜め奥の茂みの中で、「黄梅院殿泰雲紹閑大居士」と刻された大きな宝篋印塔がそれである。

また宗生寺の山門は小早川隆景公の名島城の搦手門を、廃城を機に移築してきたものである。福岡城内の名島門、崇福寺の唐門とともに名島城の遺構を現代に伝える貴重な存在である。

黒田長政公も宗生寺に50石寄進、3代光之公も延宝6年1678山林3600坪の寄進、鐘撞堂の建立、観音堂の修復など、代々の藩主の外護を受けて宗像地方屈指の禅刹となった。

今は寺の案内板に「馬頭観音の宗生寺」とあるように、本堂右手の高みにある観音堂の本尊で行基の作と伝えられる馬頭観音が有名である。筑前国33霊場第18番札所はこの馬頭観音と観音堂のことである。 元々この観音堂は大穂と野坂の境の鐘撞田にあり、不焼寺と言っていたが兵火で堂が焼失し、永享元年1429に現在地に移転したといわれる。現在の堂は光之公が再建寄進したものである。

(『筑前の寺めぐり 』より)()

筑前國続風土記』巻之17 宗像郡 下の項

○大穂町不焼寺 崇聖寺

大道の南、狭き谷中に在。両方は山にて、中に小川流、川を挟みて 両傍に民家多し。 民家の有間、小川をのぼり行事數町有。両山間近ふして、 民家の後の山に望ませり。本木村に似て、(なお)山間狭し。

不焼寺崇生寺 崇聖寺は、その奥に在りて、村口よりは遠し。 崇聖寺は、偏鄙(へんぴ)にては珍敷(めずらしき)好寺也。 佛堂綺麗也。禪寺也。此寺は許斐の城主、多賀出雲守(一説、民部丞)澄忠、 天文年中に創立す。 寺の後ろに小早川隆景の墓有。 隆景は安藝國沼田に葬る。爰には其時の住持、其人をしたひて、 (しるし)を殘せる成べし。

崇聖寺の上、不焼寺の観音堂は、 永享元年春三月創立せり。創立の人姓名しれず、 縁起新舊(しんきゅう)二有。拙陋(せつろう)にして文理なさず。 堂は高き所に在。堂の大き方四間縁共に方五間有。邊土にしては珍しき壮麗なる 堂也。 此堂度々炎上して、観音堂も昔焼失す。不焼寺の名にあたはず。 今の像は京都の佛師作れり。今の堂は慶安四年、先公忠之建立し給う。 その後度々國君よる修補し給へり。

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