織幡神社
神道
★☆☆
歴史
『筑前國続風土記附録』巻之32 宗像郡 上 鐘崎村の項の下記の記事がみられる。
織幡神社(神殿方3間・拝殿方2間・祭礼9月10日・石鳥居1基・奉祀入江丹後)
祭る所、武内大臣・住吉大神・志賀大明神なり。 社家の説にハ武内大臣・壱岐明神2座を祭るといふ。 社のある山を小屋形山といふ。 又織幡山ともいふ。 年毎に9月9日の夜は、神輿を社の東1町許に(いにしへより神輿休の地といふ)渡御なし奉りて、祝詞をさゝけて後、本社に還幸あり。翌10日に相撲有。 社内に祇園社・岬社・稲荷社・疱瘡神社・夷社・龍神社・五穀神社・沓塚(竹林の中にあり。)あり。
ひとくちメモ
当社は岬の突端の小屋形山(あるいは織幡山)の中腹に鎮座している。 社殿は参道口より135段の直線的な石段を登った所にある。 (石段の途中には数箇所の踊り場があり、思ったほどきつくは無い。) 社殿のある平坦面からは、南側の視界は開けている。ここからは鐘崎港を一望できる。 社殿に向って左手奥には「沖ノ島展望所への坂道」がある。 季節柄、長いものの出現を避けて作者は坂道を登ることを断念した。
参道口の一鳥居をくぐってすぐ左手には紅白の注連縄を掛けられた大岩が祀られている。 これが、「沈鐘」である。 岬の沖[1]に昔から、海の向いの国から来た釣り鐘が沈んでいると語り継がれてきた。 宗像興氏・黒田長政などが権力にまかせて引き上げようとしたが失敗に終わった。 大正8年(1919)、山本菊五郎なる人が万金を投じてこれを引き揚げることに成功した。姿を現したのは釣り鐘ではなく、巨石であった。(沈鐘脇の石碑(昭和49年(1974))より)
この沈鐘の参道を挟んだ対面に「筑前鐘崎海女の像」がある。脇の石碑によれば、鐘崎の海女は進取の気性に冨み、航海術に秀で各方面で活躍した。特に潜水術にすぐれた鐘崎海女は「西日本の海女発祥の地」として有名である。 海女の出稼ぎの地であった能登・長門・壱岐・対馬には枝村(分村)ができたという。
写真
参道口 神殿 狛犬(石像全体が長年の風雪ですり減っている) 沖ノ島展望所への坂道 - 社殿に向って左手奥 石段(参道口より135段あるという) 「沈鐘」 - 一の鳥居をくぐって左手 「筑前鐘崎海女の像」 - 一の鳥居をくぐって右手 京泊(織幡神社の参道)に飾られた山笠 鐘崎漁港(赤丸内は泉福寺) - 織幡神社社殿前より撮影 織幡神社図(上部に織幡神社、左下隅に泉福寺、右下隅に承福寺が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵
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