heritage 武守権現神社(しきもりじんじゃ) [久戸観音堂・久戸薬師堂・福地神社] 神道 ☆☆☆ 宗像四国東部霊場第71番 宗像四国東部霊場第39番

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〒811-4152 福岡県宗像市武丸1345   標高:38m 地図 GMAP
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歴史

御堂の縁起等は不詳。分かり次第追記します。

当御堂名「久戸観音堂」と「久戸薬師堂」はLinks① によった。 現在は御堂は1つで、両御堂が合体されたものと思われる。 現在は福地神社と呼ばれている。 Links① によれば、久戸観音堂は宗像四国東部霊場第71番(本尊:千手観世音菩薩)、久戸薬師堂は宗像四国東部霊場第39番(本尊:薬師如来)となっているという。

武守社の社殿内に「旧境内鯰池 昭和57年(1982)」と題された池が写された写真が掲示されている。 武守社は池がある、もっと低い場所より遷座されたようだ。当御堂も一緒に移されたかどうかはわからない。

ひとくちメモ

観音堂(薬師堂)は、武守社の鳥居をくぐってすぐ上手にある。武守社はそこよりさらに一段登った所に鎮座している。

観音堂(薬師堂)の扉は施錠されており、内部の状況はわからない。 御堂の表・裏はガラス戸でそこから出入りできる構造。左右はガラスの窓となっている。 内部には祭壇はなさそうだ。 御堂の裏手に4基の石祠が立っている。どうやらこの建物は拝殿で、この中から裏手に祀られた石祠を拝む為のもののようだ。となると、これらの石祠のいずれかが観音菩薩・薬師如来となっているのかもしれない。この4基の石祠の中には自然石と思われるものが祀られている。

写真

  • 観音堂(薬師堂)
    観音堂(薬師堂) 
  • 観音堂(薬師堂) - 武守社社殿前より撮影
    観音堂(薬師堂) - 武守社社殿前より撮影 
  • 観音堂(薬師堂)の裏手の石祠(この石祠の中に本尊が祀られているのかもしれない)
    観音堂(薬師堂)の裏手の石祠(この石祠の中に本尊が祀られているのかもしれない) 
  • 観音堂(薬師堂)の裏手の石祠一部拡大(「文久3(1863)」銘)
    観音堂(薬師堂)の裏手の石祠一部拡大(「文久3(1863)」銘) 
  • 境内のツワブキ
    境内のツワブキ 
  • 城山 - 境内より撮影
    城山 - 境内より撮影 

武守社

武守社社殿
武守社社殿 
参道口の道標
参道口の道標 
武守社社殿内
武守社社殿内 
社紋「カラス」 - 武守社社殿内
社紋「カラス」 - 武守社社殿内 
昔の写真「旧境内鯰池 昭和57年」 - 武守社社殿内
昔の写真「旧境内鯰池 昭和57年」 - 武守社社殿内 
武守社社殿裏手の多数の末社の石祠
武守社社殿裏手の多数の末社の石祠 
木製のベンチ - 武守社社殿内
木製のベンチ - 武守社社殿内 
全景
全景 
鳥居(束額には「武守社」。赤丸内に猫ちゃんが鎮座)
鳥居(束額には「武守社」。赤丸内に猫ちゃんが鎮座) 
鳥居下の猫ちゃん
鳥居下の猫ちゃん 

参道口の道標には「権現神社」「福地神社」とある。 社殿内には「武守権現神社由緒」と題された立派な木板が掲示されている。 このお宮は武守権現神社と福地神社が合祀されたものなのだろう。

上でも述べたが、「旧境内鯰池 昭和57年」と題された池の写真が掲げられている。 昭和57年(1982)頃、どこか他の地から遷座されたようだ。

社殿内には木製の3基のベンチが置いてある。

境内に入る時、鳥居の下で猫ちゃんが迎えてくれた。

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