武守権現神社
[久戸観音堂・久戸薬師堂・福地神社]
神道
☆☆☆
宗像四国東部霊場第71番
宗像四国東部霊場第39番
歴史
御堂の縁起等は不詳。分かり次第追記します。
当御堂名「久戸観音堂」と「久戸薬師堂」はLinks① によった。 現在は御堂は1つで、両御堂が合体されたものと思われる。 現在は福地神社と呼ばれている。 Links① によれば、久戸観音堂は宗像四国東部霊場第71番(本尊:千手観世音菩薩)、久戸薬師堂は宗像四国東部霊場第39番(本尊:薬師如来)となっているという。
武守社の社殿内に「旧境内鯰池 昭和57年(1982)」と題された池が写された写真が掲示されている。 武守社は池がある、もっと低い場所より遷座されたようだ。当御堂も一緒に移されたかどうかはわからない。
ひとくちメモ
観音堂(薬師堂)は、武守社の鳥居をくぐってすぐ上手にある。武守社はそこよりさらに一段登った所に鎮座している。
観音堂(薬師堂)の扉は施錠されており、内部の状況はわからない。 御堂の表・裏はガラス戸でそこから出入りできる構造。左右はガラスの窓となっている。 内部には祭壇はなさそうだ。 御堂の裏手に4基の石祠が立っている。どうやらこの建物は拝殿で、この中から裏手に祀られた石祠を拝む為のもののようだ。となると、これらの石祠のいずれかが観音菩薩・薬師如来となっているのかもしれない。この4基の石祠の中には自然石と思われるものが祀られている。
写真
観音堂(薬師堂) 観音堂(薬師堂) - 武守社社殿前より撮影 観音堂(薬師堂)の裏手の石祠(この石祠の中に本尊が祀られているのかもしれない) 観音堂(薬師堂)の裏手の石祠一部拡大(「文久3(1863)」銘) 境内のツワブキ 城山 - 境内より撮影
武守社
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参道口の道標には「権現神社」「福地神社」とある。 社殿内には「武守権現神社由緒」と題された立派な木板が掲示されている。 このお宮は武守権現神社と福地神社が合祀されたものなのだろう。
上でも述べたが、「旧境内鯰池 昭和57年」と題された池の写真が掲げられている。 昭和57年(1982)頃、どこか他の地から遷座されたようだ。
社殿内には木製の3基のベンチが置いてある。
境内に入る時、鳥居の下で猫ちゃんが迎えてくれた。
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