仏旗 天徳山 谷如来堂(たににょらいどう) [大行寺(天徳寺)跡] 天台宗  TANI NYORAIDOU 木造如来形坐像

  • 如来堂(左手の建物は谷集会所)
    如来堂(左手の建物は谷集会所) 
  • 靡神社社殿
    靡神社社殿 
住所
〒823-0015 福岡県宮若市上有木1633 標高:55.3m MAP  
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歴史

御堂脇に立っている案内板によれば、この地の小字は「谷」。 御堂名はその「谷」を冠して作者が仮称しました。

作者の推測だが、御堂に安置されている仏像は、天徳山大行寺の本尊(延徳4年/明応元年1492に創建された天台宗・名引山天徳寺とは同一の寺院もしくは深縁関係と思われる)。同寺は靡神社(なびきじんじゃ)の神宮寺。名引山天徳寺は寛永7年1630、浄土真宗に改宗。現在の天徳山真学寺となった。本尊は1790年頃までは天徳山真学寺に保管され、その後、現在のお堂に移された。 元の天台宗の寺の遺物として1790年頃迄は観音像が小堂に納められていたが、火災により観音像は靡神社に移された。 以下は、以上の推測の根拠メモである(読み飛ばして頂いて結構です)

如来堂の脇に立っている案内板(宮田町教育委員会 平成5年3月)を、以下に要約する。

(かや)材で作られ、丈約84cm、膝幅約66cm、胸厚21cmの一木造の坐像。 11世紀頃の平安時代後期に造られた北部九州を代表する秀作の一つ。古文書などから靡神社の神宮寺であった天徳山大行寺(てんとくさんだいぎょうじ)の本尊と思われる。福岡県指定有形文化財(彫刻)。

『筑前國続風土記附録』 巻之25 鞍手郡 上 上有木村の記事をここに引用する。

眞學寺真宗 佛堂4間半4面

名引山と號す。 萬行寺に属せり。延享3年17463月本山より木佛寺號をゆるさる。

靡山のふもとに塔所(とうとこ)といふ所あり。 古へ名引山天徳寺とて天台宗の寺有りし跡也。 近きころ1790年頃まても、小堂有て観音仏を安置せしか、野火入て草堂焼失せし時、観音仏ハ靡神社に飛去給ふ。 今も彼社の相殿に其観音仏あり。

靡山の麓の寺、靡神社との関連を考えると、案内板に記されている「天徳山大行寺」と『附録』に記されている「引山天徳寺」とは同一の寺院もしくは、深縁関係の寺であった可能性が高いと思われる。 『附録』にはこの寺の本尊の事には触れていないのが残念だが『附録』が編まれた1790年頃にはこの寺の遺物は観音像だけとなっていたようだ。本尊の如来像はこの時点では行方不明と判断されたのだろう。

『附録』に記されている「眞學寺」とは、この地より東側300m程に伽藍を構えている、天徳山 真学寺のことだろう。 真学寺のページの歴史の項を見ると、『福岡県の歴史散歩 』1978からの引用として同寺には「木造如来形坐像」が安置され、靡神社の神宮寺であった天徳山 大行寺の本尊であった事が記され、浄土真宗本願寺派福岡教区のホームページからの引用として同寺は延徳4年/明応元年1492天台宗・天徳寺としてはじまった事が記されている。

ひとくちメモ

御堂は谷集会所の敷地内に建てられている。 扉は常時施錠されており、希望者は宮若市教育委員会(0949-32-3210)事前申請で解錠して拝観できるようだ。(Links②より)

靡神社(なびきじんじゃ)の記事はこちらを参照のこと。

写真

  • 如来堂
    如来堂 

靡神社

通夜堂(手前は土俵のようだ)
通夜堂(手前は土俵のようだ) 
境内風景(前方に茅の輪が見える) - 社殿を背にして撮影
境内風景(前方に茅の輪が見える) - 社殿を背にして撮影 
手水社
手水社 
鳥居(文久2年(1862)壬戌11月銘)
鳥居(文久2年(1862)壬戌11月銘) 

当社は、御堂より180mほど坂道を登った所に鎮座している。 下に『筑前國続風土記附録』 巻之25 鞍手郡 上 上有木村の記事を記す。

靡神社神殿3間・拝殿2間2間半(後略)

村の南靡山のふもと田中(たなか)といふ所にあり。産神也。(中略) 社伝に云。文亀元年1501に鎮坐し給へり。其時ハ靡山の東の峯に社ありしか、後に今の所に移せり。 社内に大日堂あり。



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