興龍山
西念寺
浄土真宗本願寺派
歴史
伊藤氏メモ当寺は長保3年(1001)に創建された響龍山西塔寺がその前身である。開基より約600年天台宗であったが、第21世の代に浄土真宗に改宗。
昭和52年(1977)門信徒会館・本堂内陣の極彩色等、鉱害復旧工事に併せ境内全体の整備を行った。 (HP「浄土真宗本願寺派 福岡教区 鞍手組- 西念寺」より) ()
参考:『筑前國続風土記拾遺』
ひとくちメモ
未参拝の為、未稿。
『筑前國続風土記拾遺』巻之31 鞍手郡 下 鶴田村の項
西念寺
本村に在。真宗西京都仏照寺末。 寛文4年(1664)11月木佛寺号を本願寺より許さる。 寺傳に云。 當寺ハ一条院長保3年(1001)本城村稲築城主香井田三郎重緒と云者建立し、 そのかミは西塔寺と号て天台宗にて、 同村祇園岳の麓に在。 (今の西教寺ハ此西塔寺跡に建し寺也。 夫より混して西教寺古ハ真言宗なりし由いへと然らす。 西教寺ハ元より別寺にして古き寺にハ非さるへし。)
其後龍渓と云僧真言宗に改る。 かの重緒か末孫杉豊後守興行か時、 延徳(1489-1491)の頃に至り龍徳村龍ヶ岳の城を築きて居る。 此人當寺の薬師佛を信し、 寺を城の艮[1]に移し、興龍山龍泉寺 (今龍徳村の竜野といふ処に龍泉寺跡と云有。此龍ヶ岳の艮の麓にあたる。) と改る。 享禄(1528-1531)年中杉弾正重並此薬師佛の夢想を得て、 當村の西二十燈と云處に移し(今薬師堂あり)又寺号を浄行寺と云。 其後天正18年(1590)強盗の為に焼失す。 夫より真宗に改派し元和9年(1623)11月今の地に建立し、 寛文4年(1664)に至り今の寺号とす。
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