光明山摂取院
極楽寺
浄土宗
☆☆☆
行明
鞍手郡中三十三観音霊場第2番
歴史
『筑前國続風土記』巻之13 ○極楽寺(浄土宗鎮西派)の項に 下記のような記述がある。段落・脚注は作者が付加した。
光明山摂取院と號す。 宮田村にあり。
知恩院の末寺也。開基の時代詳ならず。古寺なりしといへり。
慶長16年(1611)に長政公二百石の寺産を寄附し給ひしが、其後故有て絶たり。 黒田隆政[1]、 其母大凉院[2]のために、假なる墓所を築き、 位牌を安置して、月毎に拝礼あり。葬し地にはあらず。 是に依、叉五十石の寺産を寄附せらる。
ひとくちメモ
極楽寺は宮若市の中心部に伽藍を構えている。本堂・庫裏、境内の石仏・石灯籠など普通の寺院のものより一回り大きい。 極楽寺前の通りはかなりの交通量である。