聖音山
円通院
[圓通禅院・圓通院]
曹洞宗
★★☆
鞍手郡中三十三観音霊場第21番
- 住所・電話
- 〒822-0153 福岡県宮若市山口3809 標高:193.3m 地図 GMAP 0949-52-2403
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歴史
『筑前國続風土記』巻之13 鞍手郡の項に 下記のような記述がある。段落・脚注は円通院前の案内板を参考に作者が付加した。
○山口村 圓通院(曹洞宗、宗像郡大穂村宗生寺の末寺なり。)
聖音山と號す。 山口村の内にあり。
天文廿年(1533)、大内義隆、其権臣陶尾張寺晴賢入道全姜[1]の為に殺さる。 此時宗像大宮司氏男[2]は、防州に 往て義隆の為に忠戦せしかども叶はず。 義隆のあとをしたひて行しに、敵あとより来り、氷上といふ所にて討死せり。
陶全姜の姪のうみし、前宗像大宮司正氏の子、四郎氏貞を、 陶がはからいにて、大宮司が家をつがすべしとて、天文20(1551)年9月12日、 宗像に下す。 宗像の家人同心せざる者多し。 氏貞の弟千松當年3才なりしを宗像の家臣等、是を氏男の後室の養子とし、 氏男の跡をつがしめんとす。 其父前大宮司氏續も悦んで、其儀を立んとす。 陶全姜是を聞いて、いそぎ先氏續と千代松をころすべしと、 氏貞の家人寺内治部丞に命じて云遣はす。 氏續は是を聞て、早く逃去つて彦山に隠れしを、其を土橋氏康、 多勢を以て攻殺さんより、我ゆきてひそかに殺すべしとて、 是をのぞんで行しが、終に其伯父を殺す。 千代松が母は氏續が妾也。其名を辧と云。 千代松をいだきて、鞍手郡沼口にかくれ居けるが、討手の来るよしをきゝて、 落行けるを、山口村にて追付、千代松をわたすべきよし、しきりにいへども、 抱きてはなさず。 母子共に殺しける。母子のしかばれを此所に葬る。 千代松の墓此所にあり。
後年に、山田の後室の怨霊のたゝりをやめん為に、氏貞の内室の命にて、 千代松が霊をも神にいはひ、今宮殿と號す。 今も山口村の枝村畑と云所の、山の中に社あり。 又山口村に寺を立、氏續千代松父子の菩提をとむらふ。 其寺を圓通院と號す。千代松の位牌此寺にあり。
長政公入國の後、此村をば大音六左衛門(法名宗閑)に給りける。 采地の内、田畠少々圓通院へ寄附して寺産とす。 又其寺のうしろの野山一萬坪を、長政公へ申て、此寺に付けり。 今も寺に属せり。
松、かへで、椎など山果多し。 冬は林中に紅葉多く、嵐に随ひて錦をひるがへせり。
今の住持普禪、高き所をならし、宅地をひろめ、佛堂を改め作れり。 又観音堂を新に作る。 かゝる僻地の山中には又たぐひすくなき梵刹也。 大音氏代々の位牌も此寺に安置せり。
ひとくちメモ
円通院は宮若市の西山の東裾に伽藍を構えている。その周辺は田園地帯で緑がいっぱいである。 境内も木々に囲まれてしっとりとしたたたずまいである。
本堂左手の石段から裏手の林の中に行くと墓地となっている。 墓地の一番奥の方には千代松とその母の墓と思しきものがある。
写真
本堂の扁額 参道 - 山門を背にして撮影 山門 本堂 - 左手より撮影 石段 境内風景 薬師堂 本堂左手奥の石段 - この先に千代松の墓があると思われる 遠景(写真中央が円通院)- 流れる川は貴船川 円通院前の風景 - 右の橋の手前の坂道を登ると円通院である。 千代松とその母の墓か - 本堂裏手の林の中に鎮座 本堂裏手の林の墓地
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