日正山
尊寿寺
日蓮宗
☆☆☆
薩摩街道
伊藤氏参拝済
- 住所・電話
- 〒835-0024 福岡県みやま市瀬高町下庄1790 標高:11.3m MAP GMAP 0944-62-4259
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歴史
門前の御影石製の内容板の内容をそのまま記す。
當山縁起
開基 久遠成院日親上人
開山 理性院日厚上人
開創 文明5年(1472)永保2年(1082)金傳寺と号す寺を基となす。 文明5年(1472)日正山興善寺と改称し柳河領内最初の法華の寺となる。
第7世知足院日精上人代、尊寿院殿日正大姉を当地に埋葬するに当り、 文禄4年(1595)当時柳河藩主、立花宗茂公に依り寺域6反、寺錄30石、本堂、庫裏、御霊堂、位牌堂、妙見堂の寄進あり。 尊寿院殿の法号を以て日正山尊寿寺と改称する。 尊寿院殿様は大友宗麟公の嫡男義統の御正室で父君は筧城々主吉弘鑑理公、 母君は大友宗麟公の妹君で、 又柳河藩主立花宗茂公の父高橋紹雲の妹君に当り宗茂公とは甥、叔母という、大友家、立花家の両藩に渡る由緒を以て文禄3年(1594)11月4日の御命日まで篤い法華信仰を以て送られ當山墓所に眠っておられる。
當山大27世日道上人代、文政5年(1822)下庄大火にて全焼、三宝様のみ無事搬出される。 現在の三宝様なり。 安政5年(1858)第28世普門日輝上人代、本堂、庫裏、妙見堂、山門等再建する。 旧寺格 中本寺 末寺2ヶ寺有す。
現住職 平成5年庫裏、信徒会巻 平成11年山門、清正公堂、宝塔様などを再建す。
伊藤氏メモ以前は下庄神社北側あたりにあったのを現在地へ移転。本堂は江戸時代の創建。また、 堂内には日蓮上人の一代が33枚の絵で表されている。興善寺の時代からの約530年で39世を数える。()
ひとくちメモ
銅板葺きの本堂の屋根は格調高い趣である。境内には祖師堂、永運堂などの建物がみられる。 永運堂前の案内板によれば、堂内には正面に加藤清正、左に妙見大菩薩、右に最上位稲荷大明神、三十番神が安置されているという。 本堂前には多数の真新しい絵馬が掛けられていた。 門前の道は薩摩街道である。
地名の「下庄」は「しものしょう」と読む。
写真
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