正覺山聖衆院
来迎寺
浄土宗
★☆☆
閻魔堂
伊藤氏参拝済
薩摩街道瀬高宿
- 住所・電話
- 〒835-0025 福岡県みやま市瀬高町上庄151 標高:10.6m MAP GMAP 0944-62-2025
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歴史
伊藤氏メモ創建は不明だが、縁起書には聖徳太子(574-622)の時代に創建されたとある。九州では最古で、筑前・筑後・肥前・肥後はもとより越前まで末寺があって、古くは瀬高寺と称していたという。(Links① より)()
『瀬高町誌』第12節寺院の項をそのまま記載する。
上庄の正覚山聖衆院来迎寺
浄土宗、聖衆院は最も古い寺であったが、 天正年間(1573-1592)兵火のために寺院、寺記残らず焼失した。 善導寺の住職西蓮社方誉上人泉公和尚が中興開山となって再建した。 泉公は肥後の人で、氏名は不明である。 初め善導寺にいる時、この寺の永く絶えているのを嘆いて、 上庄に来てこれを再興。 2代目誠誉上人は大友義統[1]の嫡男が死んだ時引導して本寺に葬った。 宗茂公の夫人闇千代姫が肥後玉名郡腹赤村に逝去された時引導して百姓市蔵の屋敷内に葬った。 3代目正誉上人は南関悟真寺[2]の廃絶したのを嘆き、慶長13年(1608)再興した。 4代目応誉上人の時宗茂公良清寺を建立され、 応誉を開祖とされた。 寺記に本尊阿弥陀仏は楞厳院源信僧[3]の鋳造であると伝えられる。 寺院内に板碑がある。
地名の「上庄」は「かみのしょう」と読む。
ひとくちメモ
門前の薩摩街道から細長い参道を進み、楼門をくぐる。 この楼門はかなりの年代物と思われる。白木にて補強がされている。 閻魔堂・地蔵堂・納骨堂と思しき派手な朱色の建物、植栽それに本堂と所狭しと配置されている。 本堂の前面のガラス戸もかなりの年歴を経たもののようでなかなか良い。 閻魔堂は横に長い造りである。中央に閻魔様、両脇に多数の石仏が配置されている。
伊藤氏メモ山門前の参道の渋さと納骨堂のカラフルさと庫裏の土間の古式さと本堂内の龍の欄間と天井の間の中国風色彩が絶妙の組み合わせ。()
写真
本堂の扁額 楼門 - 境内から撮影 山門 納骨堂と思われる建物 境内風景 閻魔堂 閻魔堂脇の石仏群 閻魔堂脇の石仏群 地蔵菩薩 地蔵堂 楼門の補強の状況 境内風景 遠景 - 門前の八坂神社前から撮影 門前の風景(向って右手が来迎寺)
関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)
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