仏旗 萬壽山(まんじゅざん) 九品寺(くほんじ) [九品禅寺] 臨済宗妙心寺派[未]  KUHONJI ZEN TEMPLE 伊藤氏参拝済

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〒835-0021 福岡県みやま市瀬高町本郷558 標高:10.1m MAP GMAP 0944-62-3616 
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歴史

伊藤氏メモ奈良時代の養老4年720の草創。願主本郷氏、本阿入道の建立とある。本尊の阿弥陀仏は行基の作であったが、火災のために焼失したとある。天正の兵乱に大破したが貞享3年1686に中興。本郷に末寺、末庵が多くあった。(ブログみやま市瀬高町のお寺より)()

ひとくちメモ

伊藤氏メモ本堂左手奥にみやま市の指定有形民俗文化財となっている[田尻惣助(たじりそうすけ)惣馬(そうま)親子の墓]があり、次のような説明が記されている。()

藩政時代に矢部川の治水・利水事業に大きな足跡を残した父子の墓が、本郷小路の九品寺にある。抜群の功績を挙げた人物の墓にしては、極めて控えめにひっそり佇んでいる。

父子ともに柳川藩士として元禄5年1692御書院番に登用。元禄8年1695父・惣助が普請役で今も残る北山の千間土居(せんげんどい)と呼ばれる堤防を新設完成し、さらに元禄年間に領内絵地図、元禄10年1697には藩主立花氏の別邸(御花(おはな):柳川市新外町)と名園・集景亭(しゅうけいてい)を造った。元禄13年1700死去。

また、惣馬は、流勢や海域の緩急を考慮した羽根(惣馬羽根)を造り、竹や楠などの樹木を植えて堤防を強固にした。惣馬は、父の指導もあって、その後大きく成長し、30年間水利土木にある限りの力を注いだ。元禄14年1701病気のため役を降り浪人となったが、宝永6年1709再び召し出され御城内普請役となった。正徳3年1713大潮のため決壊した黒崎開の堤防修築、享保元年1716廣瀬井堰の修築、享保2年1717蒲地山堤の築堤を行った。享保5年1720藩内御普請役を任され、三潴御門や瀬高川掘り替え工事で功績を讃えらた。 惣馬は柳川藩主第3代立花鑑虎(あきとら)・第4代鑑任(あきたか)に仕えた。惣馬は職に忠実なあまり、相当過酷に人夫を使ったらしく、当時かなりの悪評もあったという。「切る時は木六、竹八、葦九月、惣馬が首は今が切りどき」と今に俗謡されている。宝暦10年1760死去。

伊藤氏メモ[田尻惣助・惣馬親子の墓]の手前には、88体の石仏が2列でずらりと並んでいるのが壮観である。山門から続く参道部は竹で仕切られ、石畳敷となっているのがよい。()