慧照山
本長寺
日蓮宗
伊藤氏参拝済
- 住所・電話
- 〒835-0024 福岡県みやま市瀬高町下庄1585 標高:8.7m 地図 GMAP 0944-62-4814
- 検索
- 同地区同宗派(5) ( 4km以内 ) MAP 周辺のスポット(13) Links(1)
歴史
伊藤氏メモ日蓮宗大本山京都本圀寺の末流。上庄の堤防沿いにあった真言宗寂光寺の廃寺に元文3年(1738)立花藩の家臣矢島重知(矢島秀行の3代目)の娘が出家して尼となり慧照比丘と称し、本圀寺日解僧正を招いて開祖とし、再建した寺である。
この矢島家の祖先は足利尊氏に仕え、近江国野州郡を与えられ矢島郷に居住したことから矢島を姓としていた。矢島秀行は室町幕府最後の将軍・足利義昭の子であり、その妻は公家の菊亭晴季の孫であり、後に恵照院と称されている。
慶長元年(1596)恵照院は息子(矢島秀行の2代目)の矢島重成が立花宗茂に仕えるため、息子に伴われ柳川に来てこの地で逝去して恵照院となった。矢島重知の娘・慧照比丘は曽祖母にあたる恵照院の菩提を弔うために当寺を開祖した。
享保2年(1742)慧照比丘が死去した直後に本山の本圀寺の一字をとって今の寺号の本長寺に改め、恵照院殿妙成日芳尼が就任した。宝暦元年(1751)に開祖の日解僧正が本山本圀寺から来て住職に就任した。
大正13年(1924)に矢部川堤防拡張工事のため上庄から現在地に移転した。本長寺移転前の現在地は、大正時代には竹竿を組み合わせた垣と筵で仕切られたお粗末な芝居小屋があり、当時の瀬高の娯楽の中心地であった。(Links① より)()
ひとくちメモ
伊藤氏メモ住宅街に位置する。本堂内左手には「文永8年(1271)9月12日。日蓮大上人龍ノ口の刑場へ引かるる途中、 老母、牡丹餅高祖に供奉す」の「おきあげ」が額縁に飾られ掲げられている。現第30世。 ()
周辺のスポット(4km以内)
周辺の寺院・仏教施設は当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。