日当川地蔵
仏教礼拝所
薩摩街道
歴史
御堂の軒下に掲げられた案内板の内容を下に記す。
此処、日当川瀬高。 南関道路より竹井飯原に分かれる道路の分岐点からすぐ南側の地に昔から地蔵尊が祀られていた。これは肥後の国の或る城主・赤星統家が主君に起請文と共に遣わしていたその一子、新六郎が主君・肥前の国の龍造寺隆信により磔によって惨殺された。これは天正9年(1581)のことである。
その悲しみの霊を弔い、その冥福を祈るため土地の人々によって墓の傍に建立された地蔵尊であった。
こういう言われの地蔵尊が平安を希い伝統を守ろうとする地元の人々の肝煎りによって昭和62年(1987)、現在地に新築移転されたものである。
日当川区
地蔵堂の東側は薩摩街道である。
ひとくちメモ
未参拝の為未稿。
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