heritage 東伝寺(とうでんじ) 天台宗 豊前国三十三観音霊場第26番札所

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〒800-0336 福岡県京都郡苅田町山口3127   標高:241.5m 地図 GMAP
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歴史

東伝寺は普智山(とかくじ)の修験の菩提所として建てられ、昭和13年(1938)建て替えられた。 明治5年(1872)等覚寺が東寺に移転(合併?)されている。

本堂内には本尊:阿弥陀如来の他、ほぼ等身大の十一面観音を中央に、左に不動明王、右に毘沙門天が祀られている。等覚寺の講堂に祀られていたものと思われる。 この観音・不動・毘沙門天は天明期(1781-1789)の作と推定されている。

当寺を豊前国三十三観音霊場第26番札所としているが、元は等覚寺がその札所であった。

東伝寺は田川郡の神宮院[1]が祭祀をしているようで、5月8日・8月16日・10月23日にお参りに来る。特に10月23日は祭日の為、町外に出ていっている人たちも帰って来る。(以上 Links① より)

等覚寺の記事は当ページの下部に掲示する。

ひとくちメモ

未参拝の為、未稿。

等覚寺について

等覚寺についてLinks① で『京都郡寺院明細帳』を引用している。

白川村山口字等覚寺にあり、もと石坂にあり今は東伝寺内に移転せり。

天平6甲戌歳(734)慧空上人監塔建立、 天長7年(830)中興也、修験の法を修めて、復た盛也、 応永年中(1394-1428)の戦争に鳥有に属せしが、後年を経て白山権現と称へ、神殿再築す、明治5年(1872)(ここ)に移転す。

往時は300坊を擁していたと言われるが、戦後は30余り、現在は13戸となったという。 現在の僧坊は皆民家となっているようだ。 東伝寺の西側、直線距離で1kmばかりの所にある、青龍窟は等覚寺の奥の院であるという。

東伝寺の北側に白山多賀神社が鎮座している。 当社には毎年4月の第3日曜日に1000年以上前から続く修験道のお祭り「等覚寺の松会」(4月第3日曜日・国の無形民俗文化財)という祭事が残っている(Links③ 参照のこと)。「釈迦三尊図」も所蔵されているという。 当社が、等覚寺であったのかもしれない。

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脚注