heritage 内尾山宝蔵院(うちおさんほうぞういん) 相円寺(そうえんじ) [内尾薬師・相圓寺] 天台宗 行基 九州四十九院薬師霊場第7番札所

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〒800-0362 福岡県京都郡苅田町馬場268   標高:117.5m 地図 GMAP 093-436-2110 
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歴史

伊藤氏メモ『内尾山宝蔵院相円寺由緒記』によると、「開基は光林坊なり。聖武天皇の御宇(724年-749年在位)、法浄窟に御宝座の薬師仏を祭祀すべく、勅命により下向して寺院を建立。法相宗より天台修験となり、また真言宗の時代もあったが、現在は天台宗に属す」とある。相円寺は、内尾山の中腹にあり、藩政期は小笠原氏の祈願所であった。(『九州四十九院薬師巡礼』より)()

Links① によれば、本尊の薬師如来像(像高:272cm)は行基作と伝えられている。

伊藤氏メモ自然の岩窟内に薬師仏を安置している。小笠原忠雄(おがさわらただかつ)[1]がこれを崇敬して4石を寄附してから、歴代にわたり藩の崇敬は厚く、路傍には桜の樹を植えて参詣者の目を喜ばせたが、明治維新の後は著しく衰微した。明治38年(1905)以後、広瀬正種が道を補修し花樹を植え、参詣者の便を図った。(『苅田町誌(昭和45年)』より)()

伊藤氏メモまた、『京都郡寺院明細帳』には、以下のような記載がある。()

創立年月は不詳であるが、元禄元年(1688)領主小笠原左近衛将監[2]が薬師如来の古像を拾遺し、堂宇を建立した。爾後、廃藩置県(1871)当時に至るまで毎年米4石を給付して祭祀の資とし、信徒等も拠出金を出し協力維持し、祭祀した。

ひとくちメモ

250段余の石段を登らなければならず、九州四十九院薬師霊場の中で最大の難所だと言われている。

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脚注