heritage 胸の観音(むねのかんのん) [観音寺・胸の観音寺] 天台宗玄清法流 人柱

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〒824-0822 福岡県京都郡みやこ町勝山黒田3286   標高:164.1m 地図 GMAP 0930-32-2512 
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歴史

境内の案内板の内容を下に記す。段落・句読点・ふりがなは作者が適宜挿入した。

胸の観音由来

今を去る1000年の昔、延永(のぶなが)(行橋市延永)に一人の心優しい長者あり。 この長者、弥生(やよい)五月(さつき)早苗(さなえ)という3人の姫あり。 いづれも容貌うるわしく、特に末娘の早苗姫は信心深く特に観音を信仰せり。 延永長者の持田は「表千町裏千町」といわれた垂仁天皇の御代に築かれた小松ケ池(現勝山町池田区)の水にうるおされてきた。

この小松ケ池は七流七谷あり当時はうっ蒼たる森にかこまれ昼尚暗く近づく人もなく七尾の大蛇()み里人たれ一人として恐れ近づく者がなかった。

ある年晩春大(かん)ばつで長者の持田はおろか全部まったく田植ができず長者は村人と相談の末、小松ケ池の竜神谷に行き竜神に雨を乞い「もし雨ふらしたまわらば、わが三人娘のうち一人を差し上げよう」と誓い長者が帰途につくと小松ケ池に竜巻が起り沛然(はいぜん)と豪雨となり数千町歩の田もたちまち田植ができたが、長者は神竜への約束を果たさねばと心を痛めた。

この時末娘の早苗姫は困り果てた長者に「人柱のお役目は私が引き受けましょう」と乳母のおしずを伴い多くの百姓達に見立てられ(現在見立てという部落あり)小松ケ池に向い竹のヤグラに端座し香を焚き神竜の現われるのを待った。

案にたがわず池中に荒波が立ち鏡の様な眼をランランと光らせ大蛇が現れ姫を一呑みせんと襲いかからんとしたこの時、姫は観音経読誦(どくじゅ)し一巻を読み終わるごとに木綿(もめん)針にて()じ池の中に投げ入れること八たび、経巻を呑む神竜は観音経の法力と針の痛手に成仏せり。

早苗姫は乳母にうながされて帰途につき廏[1]ケ峯の山頂「現在胸の観音を祀りし所」に差しかかると、にわかに胸の痛みを覚え乳母の手厚い看護のかいなく次第に力つき臨終も迫りし時「我観音に救はれ今また来迎をうけ仏となる。向後われを念じる者は万病万難を(まぬ)かるべし」と一言残し静かにこの世を去れり。

村人はその慈悲に満ちた霊を岩窟(日本一の大岩)の中に安置し「胸の観音」と称えて信仰し今日に至れり。

尚、奥の院は小松ケ池に千年の修行を積みし龍神を祀りし洞あり。

合掌

ひとくちメモ

未参拝の為、未稿。

脚注