龍護山
千光寺
[千光禅寺]
曹洞宗
★☆☆
栄西
名鐘
アジサイ
キンモクセイ
- 住所・電話
- 〒839-0827 福岡県久留米市山本町豊田2287 標高:54m 地図 GMAP 0942-44-1434
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- 文化財
- 永和3年(1377)銘梵鐘(県文化財)
歴史
山門脇の案内板の内容を引用する。
龍護山千光寺(曹洞宗)
草建は治承4年(1180)。 栄西(千光国師)が、自彫の薬師如来・釈迦三尊像を山中に安置し、 白銀山千光院を建立したのに由来する。
初めは天台派であったが、栄西が再度渡宋よりの帰国後はじめて臨済宗を開き、 建久3年(1192)、草野太郎永平の保護を受け七堂伽藍、塔頭7ヶ寺を建立し、 「千光院」を「千光寺」に改めた。 当時の文書には、これをもってわが国最初の臨済寺開基と記したものがある。 その後、再三の火難にあい、建築物や寺宝の多くが失われた。
境内には征西将軍宮懐良親王廟があるが、 応永27年(1420)には、この親王の御霊を守り、火難を封じるため後小松上皇から 「龍護山」の勅額を賜った。
文亀2年(1502)には、草野重永が周防国富田の龍文寺黙厳和尚を招いて、 中興を図り、以来曹洞宗に改め、 草野氏や歴代藩主の保護を受け、寛永6年(1629)には筑後国の曹洞宗の本寺となった。
なお、境内には親王廟のほか、日本一のキンモクセイ古木、巨大ツツジ、アジサイ園、 県文化財指定の梵鐘、大旦那の草野永経、永平、重永の墓塔、 江戸初期の筑後国30万石余の大名田中忠政ら供養塔の所在も伝承される名刹である。
久留米市
ひとくちメモ
千光寺は久留米市の柳坂のハゼ並木の東約300mのところに伽藍を構えている。
あじさいは見ものである。本堂裏手・奥の墓地の周辺・裏山の杉木立の中。すごい数である。 特に、杉木立の中に咲く可憐な白い花はなんとも言えず綺麗である。(ページ最下部をごらんください) 本堂の裏手の杉木立の中には久留米藩初代藩主田中忠政の墓碑をはじめ古い墓碑が多数安置されている。
参道を下ったところには道の駅くるめがあり、お土産物購入や食事などができる。 周辺の観光案内のパンフレットなども常備されている。 千光寺の西側には、同じ曹洞宗の柳坂山 永勝寺が伽藍を構えている。
イベント情報(今日から1年間)
○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○
日時 | 内容 | 備考 | 状態 |
---|---|---|---|
2024-06-03(月)〜2024-06-25(火) | あじさい祭り | 8:00~18:00 約50種7000株のアジサイが咲き誇ります。 期間中入場料が必要になります。 高校生以上:300円 小中学生:100円 | 未確定 |
写真
本堂の扁額 本堂内の扁額 玄関 玄関の扁額 山門 参道口 鐘楼 境内風景(左から地蔵堂・文殊菩薩像・水子地蔵堂 山門脇のお堂 あじさい園にある堂宇(不動明王・如意輪観音・弁財天が安置されている) 本堂 - 側面より撮影 本堂側面に吊るしてある篭 境内風景 梵鐘 - 永和3年(1377)の銘 山門前のハゼの木 御陵墓・供養塔への参道口 田中忠政の墓碑 (1662)の銘) 2013-06-12"> (1662)の銘)" width="320" height="240">
田中忠政の墓碑前の板碑(寛文2年(1662)の銘) 道の駅くるめのツバメの親子
あじさい園の写真
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