仏旗 五明山 了徳寺(りょうとくじ) 真宗大谷派[未]  RYOUTOKUJI TEMPLE 伊藤氏参拝済

住所・電話
〒839-0862 福岡県久留米市野中町1216 標高:19.3m MAP GMAP 0942-33-3619 
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歴史

伊藤氏メモ了徳寺の山門は別名「戸剥門(とはぎもん)」とのこと。その由来については、『久留米ん昔話』に以下のとおり記載されている。()

野中ん了徳寺さんにゃ扉んなか山門の建っとるが、こりゃ戸剥門てろん矢受門ち言うて、昔からこげな話のついとる。

今から四百年ばっかり前、高良山の麟圭ぁ太閤秀吉から、あんまり横着(おうちゃく)かったけ領地ば取り上げられた。 そりばってん兵児垂(へこたれ)るごっぁる座主ぢゃなかった。新しゅう久留米ん城主になった小早川秀包が、太閤さんの命令ぢゃけんち言うてん、上納ば納むっどころか、かえって領地ば広なそちするもんぢゃけ、秀包はヨーシち腹けーち高良山ば攻め落そうでち戦しかけた。

が、どっこい戦上手の麟圭に歯のたたん。秀包も家来どんも負けどんしたなら我が恥ぢゃけ、もう死にもの狂いで攻めたてた。ちょうど筒川ば挟うでの戦い(天正13年1585)で、あんまり攻め方んひどかもんぢゃけ、さすがん麟圭も防ぐとに大事(おおごと)ぢゃった。とうとう矢受けん足らんなり、了徳寺さんの山門の戸まで引っぺーで盾にして戦うたもんじゃけ日の暮れち、こん戦は勝負なしで引分けた。そりからこん山門ば戸剥門ち言うごつなったち言うこつ。

ひとくちメモ

伊藤氏メモ歴史を感じる古い山門は、戸剥門の名のとおり扉の無い四本柱の造り。山門前には「筒川合戦遺構戸剥門」と刻まれた石碑が立っている。歴史のあるお寺であるが、今では周囲にマンションが立ち並んでいる。()