bukki 江南山 梅林寺(ばいりんじ) [梅林禅寺] 臨済宗妙心寺派 ★★ BAIRINJI ZEN TEMPLE 坐禅 伊藤氏参拝済 絹本著色釈迦三尊像 歴代久留米藩主の墓所

住所・電話
〒830-0029 福岡県久留米市京町209   標高:19.6m MAP GMAP 094-232-2565 
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本尊
如意輪観世音

歴史

山門前の案内板の内容をそのまま記載する。

江南山梅林寺

筑後川の清流に臨む、臨済宗妙心寺派の古刹で九州で代表的な修行道場として知られています。

本尊は如意輪観世音で、歴代久留米藩の霊廟となっています。

寺の起源は、初代藩主有馬豊氏(ありまとようじ)が故地丹波福知山の瑞厳寺を移したもので、 父則頼公の分霊をここに移し、その法号梅林寺殿から寺号を改めました。

南正面には、精巧無比な唐門が威容を見せ、方丈前の石庭の静寂とした、 たたずまいも禅林僧堂ならではの風格を持ち境内の裏山には、 歴代藩主の霊廟や墓塔が静かに立ち並んでいます。

ここの寺宝は、600余点を数え「絹本著色釈迦三尊像」の一幅は、 国指定の重要文化財であり、 この他、尾形光琳、長谷川等伯などの絵、加納雨蓬らが描く襖絵なども見られます。

隣接の外苑は、梅林の名にふさわしく梅花が風情を競い、市民の憩いの広場としても知られています。

平成20年10月 久留米市

伊藤氏メモ梅林寺は、修行の厳しい禅寺として知られる。 第9世住職の憲幢威烈(けんとういれつ)禅師(明治25年1892歿)の時代に禅堂を開くと、 遠近から多くの修行僧が来集して修行に励み、次第に優れた禅僧を育てる九州屈指の禅道場となった。

臨済宗各本山の管長を勤める老師を多数輩出した。 今も梅林寺には雲水が修行中であり、真に修行を成し遂げようとする修行僧にとって重きをなす道場であ るという。 現在の禅堂は平成8年に建て替えられたものである。

また、塀で仕切られて寺と隣接する梅林寺外苑は、境内の中でも最も景勝の地でその広さは9500㎡もある。 この外苑は、昭和33年1958に梅林寺開山の禹門玄級(うもんげんきゅう)禅師の350年遠諱(おんき)を記念して、当時のブリヂストンタイヤ㈱社長の石橋正二郎氏の厚意によって整備され、市民有志による梅やツツジの献木によって造られた公園である。 (『筑後の寺めぐり』より)()

参考:『福岡県の幕末維新』小川徳先生墓

ひとくちメモ

梅林寺の西側は筑後川が流れ、東には九州新幹線が走り南は近代的なJR久留米駅がある。 門前の通りには車がひっきりなしに往来している。

ところが、山門を一歩入ると周囲の喧騒を忘れるほどの静寂な境内が広がる。 境内の広さはかなりのもので、 西側には梅林公園(下に写真)・本堂裏手の小高い丘には久留米藩歴代の位牌廟・墓石群(下に写真)がある。

本堂前の唐門の門扉の木製の彫刻は見事。 また、境内の各種建物の扁額の大きさ・字体のユニークさは一見の価値がある。

上の案内板の「丹波福知山の瑞巌寺」が現在どうなっているか気になる。今後の楽しみにとっておこう。

伊藤氏メモ2015年9月現在、大庫裏と書院は改修工事中でした。()

写真

  • 開山堂の扁額
    開山堂の扁額 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 山門の扁額
    山門の扁額 
  • 本堂右手の扁額 - 開山堂から本堂への通路側
    本堂右手の扁額 - 開山堂から本堂への通路側 
  • 開山堂から本堂への通路
    開山堂から本堂への通路 
  • 世代墓
    世代墓 
  • 本堂唐門の門扉
    本堂唐門の門扉 
  • 金剛窟
    金剛窟 
  • 金剛窟の扁額
    金剛窟の扁額 
  • 本堂前の石造りの手水設備
    本堂前の石造りの手水設備 
  • 方丈の玄関
    方丈の玄関 
  • 境内風景
    境内風景 
  • 本堂の遠景
    本堂の遠景 
  • 山門の遠景
    山門の遠景 
  • 山門 - 境内から撮影
    山門 - 境内から撮影 
  • 筑後川対岸から撮影した梅林寺のある場所
    筑後川対岸から撮影した梅林寺のある場所 

『福岡県の幕末維新』小川徳先生墓

伊藤氏メモ 寺内には、「小川徳先生墓」と刻まれた小川トクの寿墓(生前墓)がある。 小川トクは、天保10年1839武蔵国足立宮ヶ塔村(現埼玉県さいたま市)に生まれた。養蚕と木綿織物の盛んな地域である。トクはやがて江戸に出て武家奉公をする。

江戸詰の久留米藩士戸田覚左衛門の帰国にあたり、娘の乳母となり、慶応4年1868久留米に同行した。 当時、久留米では(かすり)の生産が盛んであったが、下機(しもばた)という原始的な織機を使用していた。トクは織機の改良を思い立ち、田中久重に依頼して機織りを効率的に行うための揚框機(あげわくき)を製作してもらい、また寺町の工匠亀吉の協力を得て、長機(ながはた)の製作に成功した。

明治9年1876、トクは(しま)織りの織屋を始め、製品に「久留米縞」と名付けて売り出した。 久留米絣より遥かに安価なこともあり、好評を博した。 日吉町の山王社裏手にある仕事場には、機織りの見物人が殺到した。また、トクのもとに弟子入りする者も多く、育成した技術者は600~700人にも達したという。

明治20年1887、トクの功績を称えるため、門弟らにより梅林寺に生前墓が建立された。トクは明治43年1910、郷里に戻って晩年を過ごした。大正2年1913没、享年75。(『福岡県の幕末維新 (アクロス福岡文化誌) 』より)()

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