慈光山 真教寺 浄土真宗本願寺派★ SHINKYOUJI TEMPLE 伊藤氏参拝済 赤間道
歴史
ひとくちメモ
本堂に向かって左手に、文字の消えかかった案内板が立っている。 その表題は「永谷の盆綱」とある。 慶安3年1650にこの地区に悪病が流行した際、博多の豪商白水幽心(最下部の『筑前國続風土記附録』鞍手郡 中 永谷村の項参照)が私財を投じて救済にあたった。 彼の死後その恩恵を忘れず、また先祖の菩提に供える行事という。 このページに写真が多数掲載されている。 (参考:『筑前國続風土記附録』)
裏手は山になっており、昔は炭鉱があったという。 境内は緑に囲まれお参りした時、ウグイスが啼いていた。 門前は旧赤間道が通り、古い町並みを観ることができる。
写真
『筑前國続風土記附録』鞍手郡 中 永谷村の項
長谷とも書けり。 新延村の支村也。 ゆへに産神ハ新延村劔大明神也。 慶安年中1648-1651博多の商人白水八郎左衛門といふ者田圃を墾きて一村となせり。 此村の境地に猿田峠といふ所あり。 本編にも出たり。