筵内熊野神社
神仏習合
★☆☆
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- 〒811-3121 福岡県古賀市筵内1575 標高:46.9m 地図 GMAP 092-940-2683
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歴史
鳥居をくぐってすぐ左手の御影石製の案内板の内容を下に記す。
熊野神社(故宮 若一王子宮)
御祭神は饒速日命・速玉男神・伊邪那美命・事解男命・宇麻志麻知命。
由緒(前略) 社伝によれば神武天皇が東遷のおり、御船を海浜につなぎ、この山上の石に腰掛け四辺を展望されたことから「御腰掛石」の名が残っており、大小二石あることから「夫婦石」とも呼ばれている。
後に神功皇后が新羅へ進幸される時神武帝の故事に倣い 此の地が勝れた霊山であるので祭祀の御座に藁筵を敷き熊野大神を招請して戦勝を祈願された。
その折白鷺が飛来し傍らの松樹に止り筵内の村名と鷺白山の地名が起こったと言う。
天安5年(1448)足利義政将軍の時、鷺白山から現在地に移され天文年中(1532-1554頃)義晴将軍の時、再建された。
9月16日から18日迄の祭礼には神輿が3町余(350m)山下の頓宮(宝満神社跡地)へ渡御されていた。(社伝は筑前國続風土記捨遺巻之二十五に拠る)
明治5年(1872)11月3日、村社に別格。明治44年(1911)7月4日、五所天神社・宝満神社・貴布弥神社・天御前神社・白山神社を本社境内に移転合併。大正12年(1923)8月13日、愛宕神社を境内に移転合併。
県指定文化財である阿弥陀如来像板碑、神仏混淆の名残である本地堂の阿弥陀仏像、本殿にある龍の彫刻、伝説に残る黒駒の絵馬をはじめ多くの絵馬を拝殿内に見ることができる。
現在の祭礼 元旦祭1月1日・初祈願祭3月2日・春季祭典5月初牛(10日までにないときは初卯)・秋季祭典9月初卯(10日までにないときは初牛)・宮座10月16日。
ひとくちメモ
当社は鷺白山の北側の中腹に鎮座している。 一の鳥居をくぐり、長い石段を登る。石段を登りきった所に、阿弥陀堂がある。 上り坂はここまででここからは、広い平坦面となっている。 その先が社殿域となっている。
境内全域神仏を感じさせる霊域となっている。
記事は参道口・石段・阿弥陀堂(阿弥陀如来像板碑)・社殿域・本地堂の順に掲示する。
参道口
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一の鳥居はかなりの年代物である。 向かって左手の柱の上部に「宝永八(1711)」と思われる銘がある。
鳥居をくぐって左手には、かなり傷んだ鳥居の束額と思われるものがある。 「□□王子宮」と読める。 『筑前國続風土記附録』に当地には「若一王子社」が鎮座していた旨の記事がある。 当社は昔は「若一王子社」とよばれていたのだろう。
その隣には、形状が複雑な井戸がある。これも年代物のようだ。
門前の道を挟んだ所は畑地となっており、ヒナゲシが咲いていた。
石段
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石段のほぼ中間地点に石塔があり「北辰神社宮」と記されている。 「安政四年(1857)九月九日」銘。
石段下の案内板によれば、250段あるという。 踊り場無し。まっすぐに上る石段である。
実際に登ってみると、思ったほどきつくはない。 石段のピッチ・なだらかな角度が作者の歩幅にあっていたのかな? 石段の設計者に感謝感謝。 ちなみに石段は近年再建されたもののようだ。
阿弥陀堂(阿弥陀如来像板碑)
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阿弥陀堂は長い石段を登りきった所にある。 阿弥陀如来像板碑はコンクリートブロック製の阿弥陀堂内に祀られている。
福岡県指定文化財。
石質は玄武岩。 「大勧進(沙弥)成佛彫手僧町名」 「右志為真□[1]並法界衆往生□□(極楽)」 「建長七乙卯(1255)二月十五日彼岸中」銘。(阿弥陀堂横の案内板より)
石段下にある案内板(古賀市教育委員会)によれば、当板碑と本地堂に祀られている阿弥陀如来坐像は 廃仏毀釈の際は、当社より大根川の対岸にある谿雲寺に一時保存されて難を逃れたという。
伝承によれば、当板碑は疫病封じの為に作られたもの。 作像時、別に薬師如来板碑と千手観音が作られた。 これらの3尊像は大根川の岸に祀られていたが、洪水で流され、現在は阿弥陀如来像は当社に、 薬師如来板碑は大根川の川岸に保存されている。 千手観音は摩耗が激しく形が不明。所在も不明。(Links① より)
阿弥陀堂横の案内板の文字の大きさは作者が今までにであったものの中で最大サイズである。
社殿域
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社殿域には拝殿・神殿・手水舎・摂社・末社群が見られる。 拝殿・神殿はどっしりとした趣である。
手水舎の裏手に山頂に登る山道がある。 石段下の案内板によれば、山頂は玄界灘を見渡せる眺望ポイントという。 作者が参拝した時は4月末にもかかわらず異常な高温。長いものの出現を恐れ登ることを断念した。
本地堂
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本地堂は神殿の真裏にある。
御堂は施錠され、格子戸越しの参拝となった。
塗料は剥がれ木の地肌が見える定印を結んだ阿弥陀如来坐像である。
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