bukki 為息庵(いそくあん) 浄土宗 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済 唐津街道青柳宿 粕屋北部新四国八十八箇所霊場第10番札所 粕屋北部新四国八十八箇所霊場第11番札所 粕屋北部新四国八十八箇所霊場第12番札所

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〒811-3132 福岡県古賀市川原1145-1   標高:12.5m 地図 GMAP
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歴史

観音堂前の案内板の内容は下記のとおりである。

川原観音と為息庵

聖観音の立像は、 川原の福王に祭ってあったものを承応2年(1653)藩主の命により青柳宿に移されたもので本尊の聖観音は高さ8寸(24cm)立像で堂内の別の観音立像の体内に奉安されていることから別名(腹込の観世音)といわれています。

その後、元禄16年(1703)堂の後に庭園を築き草庵を営みて為息庵と号し、求正玄了、ニ僧を住まわせしめ新原浄土院の末庵としました。 為息庵の扁額は博多崇福寺天庵和尚の筆によって書かれたもので、庭園の美しさと為息庵の扁額により広く名を高めたと伝えられています。

文政2年(1819)明治14年(1881)の二回川原の火災で観音堂も類焼し、その後 明治34年(1901)現在の観音堂が新築されました。

町川原分館

に『筑前國続風土記拾遺』の 為息庵の記事を転載しているが、江戸期の火災を文化2年(1805)としている。 上の案内板と矛盾している。どちらが正しいかは作者はわからない。

ひとくちメモ

境内には観音堂を含め3つのお堂がある。 かなりの数の石仏がみられる。 観音堂の前の扉から覗くと目測50cmほどの観音像が安置されている。 8寸の観音像はその中に安置されているのかもしれない。

下の写真で2つの小堂をそれぞれ「大師堂」「薬師堂」としている。 堂内に安置されているメインの仏像を参考に作者が勝手に名前を付けたもので本来の名は知らない。 の『筑前國続風土記拾遺』には「恵比寿堂」「地蔵堂」があった旨の記載があるが、それとの関連性もわからない。

伊藤氏メモ道向かいには、青柳宿の説明板・宿場復元図が立っています。ご開帳は祇園さまの7月17日とのこと。()

写真

  • 観音堂の扁額
    観音堂の扁額 
  • 観音堂内部
    観音堂内部 
  • 大師堂
    大師堂 
  • 大師堂内部
    大師堂内部 
  • 石仏群
    石仏群 
  • 薬師堂
    薬師堂 
  • 薬師堂内部
    薬師堂内部 

『筑前国続風土記拾遺』巻之42 裏糟屋郡 下 川原村の項

観音堂(新町) 補蛇山為息庵と号す。 文化2年(1805)12月29日青柳町焼失す。 此佛堂も共に灰燼となりしを、 翌年正月隣家の農夫助次郎と云者に夢想有て、(もと)の佛像を掘出せり。 其像火焼の痕なし。 いぶかし。 境内に恵比寿堂 地蔵堂あり。

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