仏旗 高野山(こうやさん) 東南院(とうなんいん) 高野山真言宗  TOUNANIN TEMPLE 島郷四国八十八ヶ所霊場札所札番不詳

  • 本堂
    本堂 
  • 山門(ここから122段の石段が始まる)
    山門(ここから122段の石段が始まる) 
  • 十一面観音(拡大。よいお顔をされておられる) - 向かって右手の石仏群の後側
    十一面観音(拡大。よいお顔をされておられる) - 向かって右手の石仏群の後側 
住所・電話
〒808-0053 福岡県北九州市若松区修多羅3丁目4-2 標高:78.9m MAP GMAP 093-761-2305 
検索
同地区同宗派寺院  4km以内

歴史

寺の縁起等は不詳。分かり次第追記します。

122段(作者がカウント)の石段の銘は「石工 戸畑市金谷町 田中寅太郎 昭和7年1932」。 本堂に向かって右手の「御茶堂新築」記念碑は大正4年銘1915。 山門の門柱は昭和5年1930銘。

122段の石段を登り切った所に島郷四国霊場四百参拾年記念碑がある。 当寺は島郷四国霊場八十八ヶ所霊場の運営にあたって重要な役割をになっていると思われる。

ひとくちメモ

寺は高塔山(たかとうやま)山頂に近い南側斜面に立っている。 境内には多数の石塔・石仏群がみられる。八幡西区・東区にまたがる皿倉山山頂・若戸大橋などを眺める事ができる。 当寺に安置されている石仏群はほとんど彫りの深い造形。心癒やされる。

参拝経路

参拝経路は次の2つがある。作者の知る限り、寺周辺にはバス停などの公共交通機関は見当たらない。

①寺の下手から(表参道)
寺の南東方向100mほど下側の金刀比羅神社の参道口の斜め前の山門より122段の石段を登って境内に入るコース。
山門前には当寺の駐車場などは見当たらないので、金刀比羅神社の駐車場を拝借しても良いかも。
石段は、4-10段毎に踊り場が設置されており、登ってもあまり苦にはならない。
②寺の上手から(裏参道)
寺の北側には高塔山公園がある。そこから下って境内に入る。
舗装された道だがかなり迷うかもしれない。寺の境内(裏手)に横付けできる。但し、寺の駐車場は数台規模。 高塔山公園には駐車スペースが多数あるので、そこに停めて徒歩にて参拝することをおすすめする。
作者は念仏4号(バイク)で、寺の手前の道の脇に駐車。そこから徒歩で境内に入った。

写真

  • 石段(石工 戸畑市金谷町 田中寅太郎 昭和7年銘) - 上から撮影
    石段(石工 戸畑市金谷町 田中寅太郎 昭和7年銘) - 上から撮影 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 石塔・石仏群 - 本堂前(向かって右手)
    石塔・石仏群 - 本堂前(向かって右手) 
  • 不動明王(拡大) - 本堂前(向かって右手)
    不動明王(拡大) - 本堂前(向かって右手) 
  • 手水者
    手水者 
  • 石仏群 - 本堂前(向かって左手)
    石仏群 - 本堂前(向かって左手) 
  • 石仏群 - 向かって右手の石仏群の後側
    石仏群 - 向かって右手の石仏群の後側 
  • 石仏群 - 向かって右手の石仏群の後側
    石仏群 - 向かって右手の石仏群の後側 
  • 石仏群 - 向かって右手の石仏群の後側
    石仏群 - 向かって右手の石仏群の後側 
  • 地蔵菩薩と十一面観音 - 向かって右手の石仏群の後側
    地蔵菩薩と十一面観音 - 向かって右手の石仏群の後側 
  • 福壽稲荷大明神 - 本堂に向かって右横
    福壽稲荷大明神 - 本堂に向かって右横 
  • 多数の寄進碑 - 本堂に向かって右横
    多数の寄進碑 - 本堂に向かって右横 
  • 境内風景 - 本堂に向かって右横より撮影
    境内風景 - 本堂に向かって右横より撮影 
  • 梵鐘(作者が普段見るものより一回り大きい)
    梵鐘(作者が普段見るものより一回り大きい) 
  • 門前の金刀比羅神社の鳥居
    門前の金刀比羅神社の鳥居 
  • 門前の風景
    門前の風景 
  • 垣間見える皿倉山(八幡西区・東区)の頂上
    垣間見える皿倉山(八幡西区・東区)の頂上 
  • 若戸大橋 - 境内より撮影
    若戸大橋 - 境内より撮影 


島郷四国霊場四百参拾年記念碑

  • 島郷四国霊場四百参拾年記念碑
    島郷四国霊場四百参拾年記念碑 
  • 常夜灯と島郷四国霊場四百参拾年記念碑(右脇)
    常夜灯と島郷四国霊場四百参拾年記念碑(右脇) 

当記念碑は当寺の石段を登りきった所、大きな常夜灯の前に立っている。 以下内容をそのまま下に記す。

島郷四国霊場の起源は、天正15年1587蜑住村の郷士大庭源馬氏、その祖秋月藩主原田家菩提供養の為、 三男三太夫に命じて、四国の霊場を巡拝せしめ、聖土を島郷八十八ヶ所に移し納め、子孫をして巡拝した事が始まりとされています。

しかし、大衆の信仰道場とまでは至らず、長い年月の盛衰の後、安永5年1776小竹村の元庄屋・香山彌次郎氏は前の庄屋平安某の人徳を偲び功徳追善のため、四国に渡り霊地の土砂を持ち帰り、地形・距離・日数等を考慮し、八十八ヶ所を定め、札番とご詠歌を掲げて本霊場を再興しました。 これより一般の信仰の霊場となり、佛御の御利益と信者の熱意と相俟って益々隆盛に赴き、島郷四国霊場の中興の祖として伝えられています。

明治年代に入り近郷は基より、遠く他県より巡拝者の数を増し、多くの人々に、千人参りとして親しまれ、今日も尚、春と秋の大参りは続けられています。

ここに、霊場発祥の由来を明らかにし、先人の徳を称えて記念の碑といたします。

平成29年9月吉日 島郷四国霊場団