heritage 長浜閻魔堂(ながはまえんまどう) [引接庵] 浄土宗 ☆☆☆ H 閻魔堂 長崎街道

住所・電話
〒802-0013 福岡県北九州市小倉北区長浜町10-18   標高:3.5m 地図 093-561-1951 
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歴史

Linksによれば、鹿児島本線の拡幅により昭和28年(1953)この地に移転[1]。御堂には、幕末の画家村田応成が画いた「地獄・極楽の絵図」が2幅あり、1月16日、8月16日の祭の日に一般公開される。 夏の祭の時は、堂前で盆踊りが催される。

北九州の寺めぐり』によれば、当閻魔堂は小倉北区清水の圓応寺の飛び地境内となっており、今でも1月と8月の大祭(16日)には住職が出向いてお祀りするという。 なお、正式名称「引接庵」は「いんじょうあん」と読む。

ひとくちメモ

堂内の祭壇には、中央に閻魔大王、その後ろには阿弥陀如来が鎮座している(地獄・極楽の象徴の配置か?)。 閻魔大王の両脇には多数の観音菩薩像が安置されている。 祭壇上の仏像はいずれもかなりの古仏のようである。 閻魔堂の前には、安永(1722-1780)銘の供養塔・文化13年(1816)銘の水盤等がみられる。

午前11時頃(正月の祭の日)、初めての参拝。 時折、みぞれ。気温は0度に近かったのではなかろうか?浜風もかなり強かった。 堂内には地元の世話役と思しき方々が待機。寒い中お堂の扉を開けたまま参拝者を迎えてくださっていた。 「地獄・極楽の絵図」はあいにく修復中の為レプリカが掲示されていた(残念)。 夏の祭りには修復が終わり本物がご開帳されるという。 閻魔堂の内外には多数の提灯が飾られていた。 帰り際に世話役の方が追いかけてきて下さり、色紙を頂戴した。 感謝感謝である。

[余談]閻魔堂を参拝後、八幡西区の実家に立ち寄り用事を済ませ我が念仏4号(バイク)にて福岡市に向かう。 かなり激しいみぞれが降っていた。 積雪さえなければ、冬用の装備で万全であるとたかをくくって国道3号線をひたすら走る。 山田峠を越え岡垣バイパスに入った所で、あられに変わる。 まだ雪は積もっていないと思いそのまま走る。 ところが、みるみる間に道路が真っ白となる。 危険を感じ道脇に停車(スリップしてよく転倒しなかったと思う)。 みぞれの中、道端で待機。 道路はしばらくするとシャーベット状態となり、後それも溶けてやっとこさ走行可能な状態となる(雪が溶けるのを待つこと20分くらい)。 帰り道。都市高の香椎の入り口まではみぞれの中の走行。 寒かったです。カッパより水がしみてパンツまで浸水(泣)。 帰宅後、風呂に入る。極楽であった。 慣れない雪道での転倒もなく無事に帰れたのは閻魔様のおかげかもしれない(笑)。

[余談の余談]雪が溶けるのを待っている間、雪道をバイクですいすい走る勇気あるライダーを二人目撃。 見ている作者はハラハラ(←余計なお世話?)。危ないので絶対マネしないこと。

イベント情報(今日から1年間)

○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○

日時内容備考状態
2024-01-16(火)
(10:00〜20:00)
大祭幕末の画家村田応成が画いた地獄極楽の掛軸二幅が公開される。確定

写真

  • 表札
    表札 
  • 阿弥陀如来
    阿弥陀如来 
  • 祭壇
    祭壇 
  • 祭壇上の古仏群(右手に如意輪観音像が見える)
    祭壇上の古仏群(右手に如意輪観音像が見える) 
  • 祭壇上の古仏群(多数の観音菩薩像)
    祭壇上の古仏群(多数の観音菩薩像) 
  • 堂内の地元の方々
    堂内の地元の方々 
  • 「地獄・極楽の絵図」と巨大な数珠
    「地獄・極楽の絵図」と巨大な数珠 
  • 閻魔堂前の石塔・石仏群
    閻魔堂前の石塔・石仏群 
  • 閻魔堂
    閻魔堂 
  • 閻魔堂の扁額
    閻魔堂の扁額 
  • 「初エンマ大祭」の触れ書き
    「初エンマ大祭」の触れ書き 
  • 色紙(帰り際に頂きました)
    色紙(帰り際に頂きました) 

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脚注