仏旗 誕生山 吉祥寺(きっしょうじ) 浄土宗★★  KISSYOUJI TEMPLE フジ 閻魔堂藤まつり聖光上人

  • 藤の花- 中央の屋根が本堂
    藤の花- 中央の屋根が本堂 
  • 本堂の甍
    本堂の甍 
  • 吉祥寺図 - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵
    吉祥寺図 - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵 
住所・電話
〒807-1114 福岡県北九州市八幡西区吉祥寺町13-11 標高:17.7m MAP GMAP 093-617-0237
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歴史

開山の鎮西國師筑紫善導寺も開山している。

境内の案内板の内容をそのまま記す。

誕生山吉祥寺由緒

當山は浄土宗第二祖鎮西國師の霊場である。 開山鎮西國師は香月城主の一族香月則茂の子として應保2年11625月6日 呱々聲をあげたがその喜びもつかの間、母公は其の日果敢なくも此世を去った。

悲母の冥福を弔ふため童子7才にして佛門に入り、24才壽永2年1183 比叡山に登り天台を學んだが、後に異母弟三明房の頓死を眼前に見て人生の無常を感じ、 建久8年1197法然上人の門に入って浄土を學ぶこと8年、 終に浄土宗第二祖の允可(いんか)を蒙り九州に帰って念仏を弘通した。

そして國師は難産で没した母の冥福を弔うために産家の跡に庵を結ばれたが後、 建保5年56才の時、當時の香月城主香月七郎則宗が大檀信となって精舎を建立し、 誕生山吉祥寺と號せられた。

本尊腹帯阿弥陀如来は母の冥福と世の婦人のために安産を祈って國師一刀三禮自ら彫刻をされた霊佛である 丹誠のこる処を末代に残し安産守護子育の霊験灼然(あらたか)である。

平成24年は鎮西國師誕生850年に當る。

参考:『筑前國続風土記』(本ページ最下部)

ひとくちメモ

吉祥寺は香月の町の小高い丘の上に伽藍を構えている。 本堂前は全面藤棚となっており、4月の末から5月初旬にかけて藤の花で被われる。

その季節には藤祭りが行われ、参道前は延々と出店がでてすごい人出である。

藤の時期は参道沿線に臨時の駐車場ができるが、そこも満杯になるほどの人出である。 その時期の参拝は公共交通機関かタクシー利用がよい。


写真

  • 境内の藤棚
    境内の藤棚 
  • 山門
    山門 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 藤まつりの時の参道
    藤まつりの時の参道 
  • 閻魔堂
    閻魔堂 
  • 求道鎮西上人旅立ちの象
    求道鎮西上人旅立ちの象 
  • 鎮西上人霊廟入口
    鎮西上人霊廟入口 
  • 山門から境内を望む
    山門から境内を望む 
  • 境内の藤棚
    境内の藤棚 
  • 境内の藤棚(白)
    境内の藤棚(白) 
  • 藤の根元
    藤の根元 
  • 鎮西上人誕生水 - 参道の石段の脇にある
    鎮西上人誕生水 - 参道の石段の脇にある 
  • 閻魔様
    閻魔様 
  • 六地蔵尊
    六地蔵尊 
  • 来迎弥陀三尊象(右から観音菩薩・阿弥陀如来・勢至菩薩
    来迎弥陀三尊象(右から観音菩薩・阿弥陀如来・勢至菩薩 
  • 全景
    全景 
  • 境内から眺める香月の街並
    境内から眺める香月の街並 


筑前國続風土記』巻之14 遠賀郡 上の項

○吉祥寺浄土宗

香月村にあり。此寺は浄土宗鎮西派の祖、勝光上人[1]誕生の地なり。 勝光上人は香月氏の家臣、古川何某後に須乗と云し者の子也。 名は辨長と云。 始めは天台宗なりしが、京都に入りて法然坊の弟子と成て、下りて 筑後善導寺を開ける。 此吉祥寺も香月氏おとろへし時頽破(たいは)しけるを、文明15年1483、 香月七郎大夫興則(おきのり)再興せり。 則勝光上人の木像あり。 叉勝光其母の為に作れる阿弥陀の座像あり。高3尺2寸餘、 むかしは寺領有しとて、阿弥陀免と云田の(あざな)、寺の前なる所に在。 勝光上人は嘉禎4年1238寂す。年79。