樒山
謹念寺
[樒寺]
真言宗醍醐派
[未]
KINNENJI TEMPLE
豊前国三十三観音霊場第27番札所
- 住所・電話
- 〒800-0222 福岡県北九州市小倉南区中曽根3丁目7-8 標高:4.9m MAP GMAP 093-471-7476
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歴史
白鳳年中650-654[1]甲冑を着けた一人の武士が海中の藻屑の中で光明を放っていた観音像をいただき、剃髪して道鎮と号した。後年、堂をこの地に建立して、毎月6日に市を開いた。その為、当寺周辺の地名を「市場」[2]という。
永正5年1508、別府氏が当山の再興し、樒寺(樒堂)[3]と号した。
永禄4年1561の春、堂宇は大友の兵火に遭い焼失した。
天正18年1590一宇が再建された。 その後、観音像は守られ、昭和4年1929第61世・別府一馬氏の時、1250年祭が執行された。 一馬氏は英彦山の一坊をまかされていたとも言われる。(以上 Links① ,Links② より)
寛永年間1624-1644小倉藩初代藩主・小笠原忠真が、謹念寺中興・第51世林学坊の時、来寺して良田を寄贈している。現在の門前の道を挟んだ所に茶室が建ち、忠真がそこで休んだという。
第62世・別府嘉和氏(僧名:信戒、平成17年2005寂)は、学校の教師をしながら謹念寺を守ってこられた。 また、宝明院[4]の住職にも就いた。 現在、謹念寺は宝明院の住職が兼務している。
本尊の観音像は33年に1度だけの御開帳となっている。 本堂内には如来型立像(平安時代)・2体の不動明王(小倉城内に祀られていたものと、宮本武蔵・伊織の守り本尊と言われるもの)などが祀られている。 当寺は豊前国三十三観音霊場第27番札所となっている。(以上 Links② より)
ひとくちメモ
境内には、板碑、一石五輪塔、五輪塔、宝篋印塔などが集積されているという。