heritage 神蹟山 海蔵庵(かいぞうあん) [前田浄蓮寺末庵] 浄土宗 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済 長崎街道黒崎宿 帆柱新四国霊場第6番 帆柱新四国霊場第7番

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〒 福岡県北九州市八幡西区田町2丁目1-30   標高:2.8m 地図 GMAP
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歴史

山門脇の案内板の内容を下記に記す。

海蔵庵

このお寺は神蹟山海蔵庵と号します。 寺伝によれば、 延喜年中(901-923)聖武天皇(701-756) が九州御巡拝のおり山寺[1]に立ち寄られ一宇を建立されて 神蹟山海蔵庵観音寺と号されたのが当庵の濫觴(らんしょう)[2]で、 藤田浄蓮寺に所属しています。

本尊は阿弥陀如来で両脇に六観音をおまつりしています。

天和3年(1683) 芳譽傅廊上人という方が田町に火災・病人が多数出たこともあり住民の要請もあって山寺にあった観音寺を廃し海蔵庵と改称して現在の田町(新町)へと移転しました。

昔より火災守護、安産、商売繁盛のお寺として信仰を集め、香華の絶えることがありません。

境内には毘沙門天像、阿弥陀如来像(骨仏)、不動明王、六地蔵、大師像などがおまつりされています。

毎年8月17日は観音さまの祭日で多数の参詣者で境内が賑います。

海蔵庵の場所は旧長崎街道黒崎宿の東構口があった場所である。 その石碑も山門脇に建てられている。

伊藤氏メモ帆柱新四国第6番(本尊:薬師如来)及び第7番(本尊:阿弥陀如来)の札所となっている。山門脇にある黒崎宿東構口の説明板の内容は以下のとおりです。

構口とはいわゆる番所のこと。天和元年(1615)、一国一城令により黒崎城を廃し、城の南側にあった堀を埋めて構口を開き、番所を設けて行旅の人を監視したのが始まりで、黒崎の宿場を通過するには必ず、東と西にある構口で検査を受けた。東の構口田町には4人、西の構口熊手には3人の役人が昼夜交替で詰め、行旅の監視をしていた。()

筑前國続風土記拾遺』巻之34 遠賀郡 利 藤田村の項に「観音堂(田町)海蔵庵と云。」とある。

ひとくちメモ

上にも書いたが、長崎街道黒崎宿の東構口のあったとされる場所にある。 旅人もこのお寺に手を合わせて旅の安全を願ったことであろう。

周辺の街並みは下町風情であり、歩いているとどこかホッとする雰囲気である。

写真

  • 本堂の表札
    本堂の表札 
  • 山門 - 脇に「黒崎宿東構口蹟」の石碑
    山門 - 脇に「黒崎宿東構口蹟」の石碑 
  • 山門脇の宝篋印塔
    山門脇の宝篋印塔 
  • 十三仏
    十三仏 
  • 多数の石仏
    多数の石仏 
  • 毘沙門天像
    毘沙門天像 
  • 弘法大師像
    弘法大師像 

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脚注