bukki 法林山地蔵院 浄蓮寺(じょうれんじ) 浄土宗 ★☆☆ 木喰上人 伊藤氏参拝済 帆柱新四国霊場第5番

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〒806-0022 福岡県北九州市八幡西区藤田1丁目5-28   標高:6m MAP GMAP 093-621-3278 
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歴史

伊藤氏メモ慶長年間1596-1615の創建以来この地にある。現第21世。藤田保育園を併設。境内では多くの園児たちの遊ぶ姿が見られる。()

筑前國続風土記拾遺』巻之34 遠賀郡 利 藤田村の項に下記の記載がある。

浄蓮寺玄海屋敷に在。 法輪山ママ地蔵院と号。 浄土宗鎮西派穴生弘善寺に属す。 開山を信誉存道と云。 此僧の事ハ弘善寺の条に委く云り 境内に地蔵堂有。 火災を消除する誓願有て霊験しハ有し由の寺の記有。 井上周防女子の墓ありと云フ。 今不詳。

門前に山内史跡として次のものが記されている。 紅梅地蔵尊愛宕地蔵尊芭蕉塚木喰(そばくい)上人墓子安観世音菩薩像慈母観世音菩薩像。 これらは全て本堂裏手にある。

墓碑脇の御影石製の案内板によれば、木喰上人は、明治初期の僧侶で、黒崎に在る時は紅梅町の浄蓮寺末庵地蔵堂を住いとし、米食はせず蕎麦のみを食べていたためそう呼ばれたという。 明治29年1896博多にて遷化。墓は博多海元寺にあったが、昭和43年1968に当寺に移されたという。

同じ八幡西区内の浄蓮寺の末庵として、海蔵庵(田町2丁目)、 東光寺(藤田2丁目)、 前田観音堂(祇園2丁目)がある。

ひとくちメモ

浄蓮寺の門前は車の往来が激しい国道3号線である。 その道路脇にはひときわ目につく巨大な表札碑が建っている。 浄蓮寺のすぐ南隣は黒田家ゆかりの春日神社が鎮座している。

楼門は鐘楼を兼ねており凝った造りである。 本堂前には一対のクスノキの大木がある。 本堂もこの地区では最大級の規模。境内も広い。

写真

  • 本堂
    本堂 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 鐘楼門
    鐘楼門 
  • 鐘楼門の扁額
    鐘楼門の扁額 
  • 鐘楼門 - 本堂を背にして撮影
    鐘楼門 - 本堂を背にして撮影 
  • 子安観音像
    子安観音像 
  • 子安観音像
    子安観音像 
  • 庫裡
    庫裡 
  • 枝垂れ桜 - 本堂の裏手
    枝垂れ桜 - 本堂の裏手 
  • 木喰上人墓 - 本堂の裏手
    木喰上人墓 - 本堂の裏手 
  • 阿弥陀如来像 - 本堂の裏手
    阿弥陀如来像 - 本堂の裏手 
  • 翁塚 - 本堂の裏手
    翁塚 - 本堂の裏手 
  • 本堂 - 裏手から撮影
    本堂 - 裏手から撮影 
  • 本堂裏手の風景
    本堂裏手の風景 
  • 本堂前のクスノキの大木
    本堂前のクスノキの大木 
  • 全景
    全景 
  • 遠景 - 南隣の春日神社境内から撮影
    遠景 - 南隣の春日神社境内から撮影 
  • 遠景 - 国道3号線の対面より撮影
    遠景 - 国道3号線の対面より撮影 
  • 国道3号線に面した巨大な表札碑
    国道3号線に面した巨大な表札碑 
  • 黒崎驛 図(巻之7遠賀郡)(画像右側の左端に浄蓮寺が描かれている)
    黒崎驛 図(巻之7遠賀郡)(画像右側の左端に浄蓮寺が描かれている)
    『筑前名所図会』

紅梅地蔵尊

紅梅地蔵堂 - 本堂の裏手
紅梅地蔵堂 - 本堂の裏手 
紅梅地蔵伝説の図
紅梅地蔵伝説の図
『筑前名所図会』

境内の案内板の内容を下に記す。

紅梅地蔵

寺の言い伝えによれば、紅梅姫は京都公卿の娘で、花尾城主麻生上総介重郷をしたい、周防の国大内家の養女となり、大内家より上総介側室として花尾城に入り、紅梅の局と寵愛されました。

正室柏井御前の強い嫉妬による策略諫言で、紅梅姫は上総介に疎んじられるようになり、生きるすべを失った姫は明応4年14958月14日懐剣を取り出し、自らの胸を指して自害しました。

その後、謀略に荷担した者に変事が起こり、柏井御前も姫の亡霊に取り殺されました。 また、前田・黒崎一帯では、月毛の馬に乗り大空高く飛翔する紅梅姫の姿が度々見られたといいいます。 後悔した上総介は、お堂を建立し、紅梅地蔵を祀ってからは姫の亡霊は成仏し、元の平穏な日々に戻ったそうです。

以来、霊験あらたかな女のお地蔵様として知られ、遠近より婦人の参詣が多い。

昭和20年19458月の八幡大空襲により、紅梅町[1]にあったお堂が全焼し、本堂である浄蓮寺に安置され、昭和56年5月浄蓮寺婦人会有志により新紅梅地蔵堂が建立されました。

法林山 浄蓮寺


愛宕地蔵尊

愛宕地蔵堂(帆柱新四国第5番札所) - 本堂の裏手
愛宕地蔵堂(帆柱新四国第5番札所) - 本堂の裏手 

境内の案内板の内容を下に記す。

愛宕地蔵(火除け地蔵)

江戸時代に、藤田村の農人道哲が花ノ尾山の手前にある岩洞山(河頭山)で山仕事をしていると、山火事が発生し、見る間に四方八方に火の手が広がっていった。 驚いた道哲は急いで山を下ろうとすると、「道哲・道哲」と呼ぶ声がする。

あたりを見渡すと、岩窟にお地蔵様がおられ道哲に「我此所に居らば焼けなんとす。なんじ我を持て、汝が所に連行すべし。」と告げた。丁度手許に小さな松があったので、松を杖代わりにお地蔵様を背負い山を下った。

延焼の恐れが無い所まで来て、お地蔵様を背から降ろそうとするがお地蔵様は背から離れようとしない。 とうとう道哲の家の小高い所、現在おまつりしている場所に降ろすと、今度はやすやすと背を離れたという。

道哲は芝の庵をむすび、尊像を入れ奉り、杖としてきた松をお堂のそばに植えて後世の印とした。 それ以降浄蓮寺の鎮守として現在に至っている。

寛永年中1624-1644(享保年中1716-1736ともいう)黒崎に発生した大火の時には、道哲の子孫の家だけはお地蔵様のお加護により、延焼をまぬがれたという。

火除けの神を愛宕(あたご)様と呼ぶことごから、地元では昔よりこのお地蔵様を「愛宕地蔵尊」と尊称し一切を消失から護ってくださるようにと参詣が絶えない。

法林山 浄蓮寺


脚注

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