仏旗 東光山金剛密寺 遍照院(へんじょういん) 高野山真言宗[未]  HENJYOUIN TEMPLE 伊藤氏参拝済

住所・電話
〒803-0845 福岡県北九州市小倉北区上到津3丁目10-15 標高:23.4m MAP GMAP 093-651-1172 
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歴史

伊藤氏メモ以下は、山門脇の案内掲示板による。

『小倉市誌』によると、江戸時代、当院は長崎町(現:堺町)に在し、小倉藩士や名字帯刀を許された藩御用商人などの檀家を有していた。正徳年間1711-1716の記録には、小倉藩主にお目見えを許された寺院として記されている。

当院は信州松本、播州明石と小笠原家の移封に従って当地小倉へ来たようである。しかしながら、幕末には小倉城落城の混乱のなか廃寺となろうとしていた。その際に、中興開基孝歓阿闍梨が、廃寺となっていた小倉藩小笠原家祈願所の成願寺・吉祥寺・廣隆寺の三ケ寺を併せてお祀りし、堺町(現在の平和通り十八銀行付近)に改めて遍照院として再興した。現在でも永貞院(えいていん)(藩祖小笠原忠真の室)寄進の十一面観音坐像・第2代藩主小笠原忠雄が廣壽山東照宮に寄進した石燈籠をはじめ小笠原家ゆかりの仏や寺宝が残っている。

第2世の頃(明治・大正期)には、小倉の政治家・商家などの名士が遍照院行者講として当院に集まり、寺勢を高めた。

しかし、第3世の昭和20年1945、大東亜戦争最末期に強制疎開の戦禍に遭い、現在の到津の地に堂宇を移した。戦後の混乱の真只中は、寺院の姿を整えるのも困難であった。

その後、現住職が昭和29年1954晋山、檀信徒の協力を得て、本堂・経堂・納骨堂・地蔵堂・駐車場の整備を進め、平成21年2009には近代建築の新本堂(3階:納骨堂・永代供養塔・燈籠堂、2階:本堂、1階:信徒会館)を完成し、現在に至る。()

ひとくちメモ

伊藤氏メモ山門入ってすぐ右手と、入って左手を少し進んだ所に、琵琶風の楽器を抱えた天女のようなカラフルな等身大坐像があるのが目を引く。また、山門の左側には、台座部を含めると高さ5mほどもあろうかという大きな観世音菩薩のブロンズ像が立っている。その台座の脇には、数基の墓石が並び、傍らの[吉祥寺(きっしょうじ)名僧の墓]と題された案内板に次のような説明が記載されている。

この辺一帯は、かって吉祥寺山と呼ばれていた。藩政時代、小笠原氏が播州明石から小倉城主に移封して来たとき、一緒に小倉入りをした真言大僧都が城下に寺院を建立した。寺院は如意輪山吉祥寺と号して藩主の祈願寺となった。この吉祥寺(現在は廃寺)の墓地があったところからその名称があった。現在7基残っているのは、その当時の高僧の墓石である。

本堂に向かっての参道右脇には、30体以上の石像が並んでいる。また、本堂右脇部には、宝篋印塔・稲荷社・千手観音・波切不動明王が並んでいる。()

2017-05-05、北九州市八幡東区在住のK.M様より情報を頂戴し掲載しました。



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