花尾城跡
史跡
☆☆☆
歴史
花尾城跡は、黒崎宿を見下ろす花尾山(351m)の山頂にあった。 現在、山頂にはその遺物は確認できず、案内板と石碑があるのみである。
山頂の案内板の内容をそのまま記載する。
史跡 花尾城跡
麻生氏の居城跡で、小倉の大三岳城跡や文字の門司城跡と共に中世北九州の代表的な山城の一つ。
平家滅亡後、宇都宮朝綱の次男家政は鎌倉幕府の命により遠賀郡山鹿庄に下り、 山鹿氏を称したのち、 その子時家は次男資時に麻生庄野面庄、上津役里を割譲、 よって資時は麻生庄に本拠をおき麻生氏を名乗った。
この城の築城年代は定かではないが、南北朝時代と推定されており、その頃は麻生山と呼ばれていたという。
ここでは、中世に、いくたびかの合戦があったが、なかでも文明10年(1687) 麻生氏の家督をめぐって、惣領家弘家と反惣領派家延との内紛は知られており、 このとき山口の大内政弘が弘家を援け、当城にこもる家延を攻めたたま、家延は和議を乞い城を開けた。
その後の麻生氏は家氏のとき、豊富秀吉の九州征伐のあと天正15年(1587)筑後に所替えとなり、 三百数十年にわたる当地でのその歴史をとじた。
ひとくちメモ
ここは、市民の軽い登山コースの一つとなっている。
写真
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