bukki 三岳山(さんがくざん) 護聖寺(ごしょうじ) [護聖禅寺] 曹洞宗 ★★☆

住所・電話
〒803-0263 福岡県北九州市小倉南区辻三307   標高:126.4m 地図 GMAP 093-451-1116 
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歴史

開山堂脇の石碑の内容をそのまま記す。
(判読不可能・あるいは活字に無い文字は□としています。段落は作者挿入。)

開山堂建立記念碑序

三嶽山護聖禪寺は600余年前即ち永和年間(1375-1379)[1]の開創にて開山は璋山融珪禪師[2] 開基永野蔵人[3]氏である。 厖大な禪刹も前後3回の祝融[4]に遭って伽藍を消失したが就中明治初年の祝融は全山を灰燼に皈せしめ廃墟と化したのであった。 以来歴代の従持人は不□惜しまず身命の道念で再建に精進し祖中□一致戮力した結果現在の山門法堂庫裡の再建を見たが、 愁しい哉開山堂の復元は機縁未だ塾さず今日に至れり。

然るところ生井水連・船井修一両氏愛山護法の道念を倍増し開山堂の再建を憶念 祖中亦一心協力して茲に堂宇の今週を実現せり。

嗚呼焉んぞ□幸なるこの甚大歓㐂は往時の祇園傘松の古□□比喩せられん開山禪師が常に三嶽の峰に在りて説法教化せられし精進を回想するを□に山風一段と顕在し渓聲山色を荘嚴して上広大無辺の慈恩に報い奉り下群生和楽の道場として現成せり冀くは一華五葉[5]の春を現じて門風永く扇(ママ)がんことを祈念するのである。 云□

昭和44年9月吉祥日 三嶽山護聖寺35世守塔比丘無滴紫川 謹撰

32世玉水和尚は森鴎外とも交友であり、『鴎外日記』や松本清張の小説『或る「小倉日記」伝』にも登場しているという。

ひとくちメモ

護聖寺は県道61号線脇の参道口からなだらかな坂道を1kmほど登った所にある。 参道の両脇は棚田と民家となっている。 お寺の裏手は山。前は棚田が広がっている。そこから眺める景色はなかなかのものである。

ツバキ・ツツジ・キンモクセイ・楓・桜・アジサイ・ハナズオウ・梅などの花木が植えられた境内には、 楼門・本堂・開山堂・鐘楼などがみられる。 特に開山堂の造りは風格あるものとなっている。 本堂の屋根の棟には、豊前小笠原家の三階菱があしらわれている。

門前の道を挟んだ一画には初代・2代和尚の石像・十三仏・バチ笠地蔵(バチ笠地蔵の由来参照)などが見られる。

開山堂の裏手には鳥居があり、そこをくぐって石段を登れば、拝殿とお堂がある。 お堂内部には僧形の木像が安置されている。

西側は墓地となっており、歴代和尚の墓碑が見られる。

更に西側には三岳梅林公園がある。 初めてお参りした時はあいにく花の盛りを過ぎていた。 梅の古木が多数。 時期にはお土産物他の店も出るようである。 梅の花は、梅林公園だけでなくこの地区一帯の山裾のほとんどの場所に植えられている。 一見の価値は十分にある。

当寺から少し下った所に筆立地蔵が祀られている。

写真

  • 楼門 - 境内から撮影
    楼門 - 境内から撮影 
  • 開山堂内(幕に三階菱)
    開山堂内(幕に三階菱) 
  • 楼門
    楼門 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 聖観音像
    聖観音像 
  • 本堂・開山堂の屋根
    本堂・開山堂の屋根 
  • 境内風景
    境内風景 
  • 本堂の屋根(三階菱の装飾)
    本堂の屋根(三階菱の装飾) 
  • 裏手のお堂への参道口
    裏手のお堂への参道口 
  • 裏手のお堂への参道
    裏手のお堂への参道 
  • 裏手のお堂内部の木像
    裏手のお堂内部の木像 
  • 裏手のお堂(右手は拝殿)
    裏手のお堂(右手は拝殿) 
  • 裏手のお堂の拝殿(側面)
    裏手のお堂の拝殿(側面) 
  • 裏手のお堂の拝殿(正面)
    裏手のお堂の拝殿(正面) 
  • しだれ梅
    しだれ梅 
  • 楼門脇のツバキ
    楼門脇のツバキ 
  • ハナズオウ
    ハナズオウ 
  • 境内の植物
    境内の植物 
  • 門前の棚田
    門前の棚田 
  • 門前の十三仏
    門前の十三仏 
  • 門前の1世、2世の石像
    門前の1世、2世の石像 
  • 門前の「不許葷酒入山門」の石塔(天明3年銘)
    門前の「不許葷酒入山門」の石塔(天明3年銘) 
  • 門前の道(この先が三岳梅林公園)
    門前の道(この先が三岳梅林公園) 
  • 参道 - 楼門を背にして撮影
    参道 - 楼門を背にして撮影 
  • 参道の石段
    参道の石段 
  • 参道の石段
    参道の石段 
  • 歴代和尚の墓碑群
    歴代和尚の墓碑群 
  • 遠景(中央が護聖寺)
    遠景(中央が護聖寺) 
  • 門前の棚田
    門前の棚田 
  • 超遠景(中央が護聖寺)
    超遠景(中央が護聖寺) 
  • 県道61号線沿いのバス停と電話ボックス
    県道61号線沿いのバス停と電話ボックス 
  • 県道61号線(右手の道が護聖寺の参道口)
    県道61号線(右手の道が護聖寺の参道口) 
  • 喚鐘
    喚鐘 
  • 梵鐘
    梵鐘 

バチ笠地蔵の由来

門前のバチ傘地蔵
門前のバチ傘地蔵 

案内板の内容を下に記す。

バチ笠地蔵

むかしむかし、梅の里"三岳梅林"作造じいさま夫婦が住んおりました。 正直者で働き者のじいさまは「正直作造、作じいさま」と皆から親しまれていました。

また、じいさま夫婦はたいそう信心深く氏神さま、お寺はもちろんのこと、 道端の地蔵さまにまでお供えをするほどでした。

ある年の正月を迎えようとする年の暮れ、畑仕事の手間ひまに作ったバチ笠を城下町に売りに行くことにしました。 せめて尾頭付きのイワシでも神様にお供えしたいと思ったからです。

作造じいさまは、家々を抜けて歩いていき、村の入り口にある護聖寺の山門下まできました。 そこにはに北風に吹かれ寒そうなお姿の六地蔵さまが。 信心深い作造じいさまは、城下町に売りに行くはずだったバチ笠6枚をおじぞうさまの頭の雪を払いおとし、 お一人おひとりかぶせてあげました。 イワシは買えなくなりましたが、作造じいさまはすっかりうれしくなって家路につきました。

ばあさまも「良いことをなさった。お地蔵さまもさぞ喜んでいなさるじゃろ」と一緒に喜びました。

真っ白な雪が降りしきる大みそかの夜、囲炉裏をかこんだ二人がうとうとと眠ってしまった時、 裏口の戸が開き、じいさまが眠い目をこすり見ると、バチ笠をかぶった六地蔵さまが、米俵・塩魚・煮〆箱・重ね餅・酒樽など次々に運び込んでものも言わず姿を消してしまいました。

じいさまばあさまは、びっくりしてしばらく動けませんでした。 そして戸口に座って二人で手を合わせました、 お地蔵さまが運んでくれたごちそうで良いお正月を迎えることが出来ました。


筆立地蔵

筆立地蔵は当寺から100mほど南東方向に下った畑の中に祀られている。 名前の通り、筆の形をしている。 地蔵尊脇に貼り付けられた由緒書きを下に記す。

220年前の作で、高さ1m26cm、直径21cm。別名灯明地蔵墓石という人もいる。 狸川の橋の近くの田の中にある。「安永六丁(1777)正月吉日、三岳村弥八」と銘が読める。

護聖寺は由緒ある寺で徳望の高い代々の住職が寺子屋を開き、読み書き算用を教えた。 寺子屋の行き帰りに道遊びをしないように、子育地蔵から思いついたのが筆立地蔵ともいわれる。 幕末期に村人で字の知らない人がいないと噂された三岳村は、文化村でもあった。

又、護聖寺は女人禁制で、この辺りに記帳所がもうけられていた。 誰がまちがえたのか。いつの頃からか男の象徴と崇めるようになり、犀川の生立八幡座石と並んで有名になった。 子供のほしい婦人が参ると子宝に恵まれるという。

関連寺社(※過去に関連していた寺社も含みます。必ずしも現在関連している寺社とは限りません。)

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