五卿上陸の跡
史跡
☆☆☆
歴史
東構口より海側に300mほど行ったところに五卿上陸地跡の案内板がある。 五卿上陸地の碑の案内板の内容をそのまま記す。
文久3年(1863)、政変により公武合体派が優勢となり、攘夷派の 公卿三条実美ら7人は、京都を 追われ長州へ逃れました。世に七卿落といわれた 事件です。
その後5人になった公卿は、第一次長州征討の結果、太宰府へ配流 と決まり、五卿は元治2年(1856)1月15日彦島をたち、黒崎湊 に上陸しました。碑はもと100mほど西にありました。
五卿は三条実美、三条西季知、東久世通禧、 壬生基修、四条隆謌です。
北九州市教育委員会
碑の元あったとされる場所は現在は工場の敷地内となっている。
ひとくちメモ
碑のある場所より50mほど北には今も黒崎港がある。 黒崎埠頭の写真の右前方に若戸大橋が写っている。
写真
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