bukki 転法輪山 極楽寺(ごくらくじ) 浄土真宗本願寺派 ★☆☆ 伊藤氏参拝済 唐津街道若松宿

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〒808-0034 福岡県北九州市若松区本町3丁目8-3   標高:2.4m MAP GMAP 093-761-2809  ホームページ
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歴史

伊藤氏メモ当寺の住職は代々麻生姓を名乗るが、その麻生姓の由来は、鎌倉幕府の創設を支え、筑前国遠賀郡の地頭となった僧侶・一品房昌寛の子孫が現在の八幡西区花尾山を根拠地とし、花尾山が麻生山とも称したことに始まる。

当寺は、開基住職・道了によって寛正元年1460草創されたと伝えられる。草創当時は天台宗で妙楽寺と称し正保寺町(現在の白山)にあったが、程なくして、在家・民衆の暮らしに溶け込んでいた浄土真宗に改宗。第4世了順が再興して現在の地に移し、寛文2年1662本願寺第14代寂如宗主の裏書きがある阿弥陀如来画像を賜り、寺号を極楽寺と改め、浄土真宗本願寺派に属する寺院となった。

かつて石炭の積出港として繁栄を謳歌していた若松は、経済のみならず文化的にも先進性にあふれ、各界の識者も多数当寺を訪れた。大正6年1917歌人の与謝野晶子は夫の鉄幹と旧若松市に立ち寄り、当寺で講演会を行った。当時の『門司新報』によると、本堂に大勢の女学生や一般市民が詰めかけるなか講演が行われ、若松の人々に時代の風を伝えたという。

現在の本堂は、第17世釈了暁の発願で昭和5年1930に竣工した。紫宸殿(ししんでん)造りの大伽藍は、全国でも稀な昭和の本格寺院建築として、今もその偉容を誇っている。第17世釈了暁は昭和8年193344歳で夭折。後に第18世を継職する釈了宣は当時わずか7歳であった。

戦時中、製鉄所や陸軍造兵廠、弾薬庫等を抱えていた軍都・北九州はしばしば米軍の標的に曝されたが、当寺の本堂は幾多の爆撃をくぐり抜け奇跡的に生き抜いた。戦後、学業を終えて第18世住職を継職した釈了宣は、昭和29年1954に大正時代から続いていた日曜学校を引き継ぎ精華幼稚園を創設。また、現在の門信徒会館の建設などを手がけたが、昭和55年1980に往生。

翌昭和56年に、現住職第19世釈了司が継職。本堂・山門屋根瓦の修復工事等を行った。平成13年2001内陣荘厳工事が竣工し、新たな本尊を迎えることとなった。その後、精華幼稚園を移転新築、第2納骨堂も新設した。(「当寺HP」より)()

参考:『筑前國続風土記拾遺』

ひとくちメモ

山門・本堂の規模はこの地区最大級である。重厚なデザインに仕上がっている。 初めてお参りした時、山門前にはしだれ梅がちょうどつぼみをつけていた。 鐘楼は山門向って左手の門と会館の屋上にあるようである。

極楽寺のすぐ北側は旧唐津街道である。 おそらく若松宿の宿場内ではなかろうか?

伊藤氏メモ当寺HPに「紫宸殿(ししんでん)造りの大伽藍は、全国でも稀な昭和の本格寺院建築として、今もその偉容を誇っています。」とあるとおり、大きな本堂の構えである。なお、当寺のHPの記載は、丁寧・詳細かつまとまりもよく、これまで見た寺院HPの中でトップクラスのものです。()

写真

  • 山門 - 境内から撮影
    山門 - 境内から撮影 
  • 本堂
    本堂 
  • 山門脇の句碑としだれ梅
    山門脇の句碑としだれ梅 
  • 門前の風景
    門前の風景 
  • 北側の唐津街道
    北側の唐津街道 

筑前國続風土記拾遺』巻之35 遠賀郡 貞 修多羅村の項

○極楽寺

真宗西小倉永照寺に属す。 昔ハ天台宗なりしか永禄1558-1570の頃ゟ真宗と成。 正徳元年1711寺号木佛ヲ許さる。

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