heritage 雲龍山 永照寺(えいしょうじ) [小倉御坊] 浄土真宗本願寺派 ★☆☆ 経堂 インド菩提樹 伊藤氏参拝済

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〒803-0814 福岡県北九州市小倉北区大手町16-16   標高:10.2m 地図 GMAP 093-582-7676  ホームページ
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歴史

詳細は多数の写真とともに上のホームページに記載されている。 ここでは、門前の案内板の内容を下記に記す。

(福岡県指定文化財 有形民俗文化財)永照寺輪蔵(りんぞう)(付)経蔵(きょうぞう)

雲龍山永照寺は浄土真宗本願寺派に属し、 明応4年(1495)蓮如上人の弟子、道證によって、 室町の地に開基された。 慶長13年(1608)小倉城築城のため米町へ移り、平成2年(1990)、 小倉駅前再開発により現在の地(大手町)へ移転した。

輪蔵はけやき造りで、唐様組物の六角形、縁の一辺の長さは180cmある。

第10世住職西従のとき、 筑前下境光福寺の住職泰峰が、 西従の依頼をうけて、 享保4年(1719)12月、京都に上り、 翌年、鉄眼版一切経を購入するとともに、 これを収める輪蔵を京都の工人に造らせ、 傅大士(ふだいし)と両脇侍(普建童子、普成童子)は仏師康圓に彫らせて、 享保5年(1720)3月、船に積んで小倉に帰ってきた。

現在、残っている経蔵は西従の建立によるもので、 輪蔵と三尊像が安置してあるが、 鉄眼版の一切経は慶応2年(1866)の豊長戦争で散逸し、大正大蔵経が収められている。

北九州市教育委員会

伊藤氏メモ当寺開基の道證は、もと村上大炊允道定と称し、豊前国簑島(現:行橋市簑島)の塁を預かる武将であった。応仁の乱(1467-1477)に加わり、摂津国(現:大阪府北中部・兵庫県南東部)川中島の戦いで傷を蒙り、溝杭仏照寺(大阪府茨木市)において加療中、蓮如上人の巡化に遭い、発心出家してその弟子になった。明応4年(1495)本願寺実如上人より本尊を下附され九州に下国し、当時一寒村に過ぎなかった小倉津に草庵をいとなんだのが当寺の始まりである。 (「当寺のパンフレット」より)

本堂は開基以後、慶長(1596-1615)、元禄(1688-1704)、弘化(1845-1848)の年間にそれぞれ造立され、現在の本堂で5回目の造立となるが、内部の柱・梁の殆どは弘化年間に建立された本堂の資材を移築してある。 (「当寺のパンフレット」より)()

ひとくちメモ

伊藤氏メモ現在の広い境内域は、小倉陸軍造兵廠の跡地の一部である。当寺の東にある大手町公園の北側部、大手町病院に隣接する一画に[小倉陸軍造兵廠跡の碑]が建っている。碑は造兵廠敷地の形がモチーフになっている。現第21世。()

永照寺は紫川西岸に位置し、周囲は高層マンションに囲まれている。 その北側約1kmには小倉城がある。本堂の規模はこの地区で最大級である。 広い境内には、輪蔵・太鼓堂などがある。

輪蔵は経堂の中に保管されており、作者は観ることができなかった。 上のホームページに写真と詳しい解説がある。 同ページによると博多聖福寺のものに次ぐ古いものという。 作者は遠賀郡芦屋町安楽寺でも見たことがある。

太鼓堂は最上部に太鼓が収められており、何かのイベントの合図に使われるものである。 福岡県内では珍しいものである。 作者は遠賀郡芦屋町の慈雲山 安養寺で見たことがあるくらいである。

本堂前はこの地区では珍しいインド菩提樹の高木がある。

イベント情報(今日から1年間)

○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○

日時内容備考状態
2023-12-31()〜2024-01-01(月)除夜の鐘お寺にお問い合わせください。確定

写真

  • 経堂(中に輪蔵が安置されている)
    経堂(中に輪蔵が安置されている) 
  • 太鼓堂
    太鼓堂 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 全景
    全景 
  • 境内風景
    境内風景 
  • 門前の風景
    門前の風景 
  • 梵鐘
    梵鐘 

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