宇美山
誕生寺跡
[宇美八幡宮]
真言宗
☆☆☆
大楠
宇美八幡宮
伊藤氏参拝済
歴史
伊藤氏メモ誕生寺は宇美八幡宮の別当寺(神社を管理するための寺。神宮寺や神護寺ともいう)としてあったが、明治の神仏分離・廃仏毀釈により廃寺に。 現在、八幡宮の歴史民俗資料館の西隣、駐車場の一角(宮前通りの信号から、赤レンガ敷きのふれあい通りを20メートル入った道沿い)に[宇美八幡宮誕生寺跡地]の石碑が立っています。 太宰府天満宮と 安楽寺跡の関係と同様のようです。 ()
当寺に祀られていた、木造阿弥陀如来立像と木造薬師如来像坐像は明治の廃仏毀釈の法難を逃れ、現在は新原地蔵堂に安置されている。
ひとくちメモ
境内には大楠が多数みられる。特に、社殿に向かって右手にある大楠(国指定天然記念物 県民俗資料重要文化財)は推定樹齢2000年以上という。一見の価値は十分。
写真
宇美八幡宮
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『筑前國続風土記』巻之18 糟屋郡 表の項に下記の記事あり。
◯宇瀰八幡宮
日本記、神功皇后の紀を考ふるに、皇后新羅より還りたまふ年の12月戌朔辛亥に、誉田天皇を筑紫に生給ふ。 故に時の人其産所を号て宇瀰と云。(此事は仲哀天皇9年庚辰12月14日なり。) 応神天皇の紀には、筑紫の蚊田にうまれたまふとあり。 然ば此地の名、始は蚊田と云しを、応神天皇、此所にて生まれさせたまひしより宇瀰といふ。
(中略)
むかしは8月13日神輿御旅所に御幸あり。(御社の向井野山のふもとに御旅所の址あり。其前なる田の中に浮殿とて林木残れり。) 同16日環幸あり。 此時は怡土郡長野村の宇美八幡宮の別當職の者来り、 御旅所より音楽を奏して供奉す。 故に此所を音楽河原と云。
(中略)
社職今も数人あり。社僧の坊を、宇美山誕生寺といふ。 真言宗也。 (後略)
附録(中)_宇美八幡図の右上端あたりに誕生寺が描かれている。
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