新原地蔵堂
仏教礼拝所
☆☆☆
歴史
御堂内には木造阿弥陀如来立像(10世紀後半〜11世紀初頭の製作。推定カヤ材の一本造)・ 木造薬師如来像(12世紀代の製作。定朝様式(寄木造))・他の仏像(複数)が祀られている。
この2尊像(須恵町指定文化財)と盗難に遭って戻って来ない弥勒菩薩を併せた3尊像は、宇佐八幡宮の神宮寺であった宇美山誕生寺に祀られていたもの。明治の廃仏毀釈の際、宇美八幡宮の神官と新原村の有志が相談して同村に移して[1]大切に守ってきた。(以上 境内の案内板より)
YouTubeの映像に登場する区長様の話では宝満山にあった仏像の一部も廃仏毀釈の法難から逃れてここに安置されているようだ。
毎年7月の23日に最も近い日曜日に新原二十三夜祭(地蔵盆)が当地蔵堂と新原公民館で行われる。
毎年8月15日には新原区盆綱引きが行われる。
メールを送って頂き、誕生寺の仏像の行方を知るきっかけをつくっていただいた糟屋郡在住のH様ありがとうございました。きっかけとなった同氏のページはLinks① のページです。
ひとくちメモ
立派な3間四方の拝殿の真裏には歴史の項に記した阿弥陀如来と薬師如来が祀られた仏堂があり、その仏堂の向かって右手手前に3体の地蔵菩薩像が祀られた地蔵堂がある。
仏堂の扉は施錠されており、格子戸越しの参拝となった。 祭壇には3体の仏堂があり、向かって左手より薬師如来・阿弥陀如来・尊名不詳の坐像が祀られている。 左右の壁際にも祭壇があり3体の仏像が祀られている。
門前の道を挟んだ南東側の斜向かいには新原公園があり、そこには海軍炭鉱第四坑本部跡・新原宮がある。
写真
仏堂(左)と地蔵堂(右) 祭壇(格子戸で内部がよく拝めない) - 仏堂 向かって左手の仏像(尊名不詳。ピンぼけすみません) 向かって右手の仏像(尊名不詳) 木造薬師如来坐像 - 案内板より引用 木造阿弥陀如来立像 - 案内板より引用 地蔵堂 地蔵菩薩 - 地蔵堂 拝殿 境内の建物(ここで綱引きの綱を綯うのだろうか) 門前の石碑
海軍炭鉱第四坑本部跡
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海軍炭鉱第四坑本部跡は新原公園の中にある。というより、海軍炭鉱第四坑本部跡が公園になったというのが実態のようだ。
新原は良質な石炭を産する土地であった。 艦船用の石炭を国内に求めていた海軍は、明治21年(1888)、有事の際に石炭を採掘する「海軍予備炭山」に指定し、新原採炭所を設置した。採炭所は海軍採炭所、海軍燃料採炭部、国鉄志免鉱業所と名称を変更しながら我が国の発展を支えた。
当公園にはその海軍炭鉱第四坑本部があった場所で、明治34年(1901)に閉坑して志免町に移転した。(以上 公園内の案内板より)
本部跡には第4抗の抗口枠と海軍技師萩尾善次郎像があり、その前には立派な拝殿が立っている。
拝殿の前には相撲場と思しきものがシートで覆われている。
公園入口の脇には新原公民館がある。
新原宮
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新原宮は公園の南東側の隅にひっそりと鎮座している。 拝殿は無く、石造りの神殿があるのみである。
新原宮の鎮座の年歴などは不詳。
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