heritage 稱名山攝取院 西念寺(さいねんじ) 西山浄土宗 ★☆☆ 桂空舜道 伊藤氏参拝済 粕屋北部新四国八十八箇所霊場第86番札所

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〒811-0115 福岡県糟屋郡新宮町新宮135   標高:5.4m 地図 GMAP 092-962-0515 
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歴史

境内にある銅板製の案内板の内容をほぼそのまま記す。 案内板の文字の判読が困難な箇所もあるが、 作者が文脈から想像して補完した。 誤りがあったらお許しください。

西山浄土宗 称名山摂取院 西念寺沿革

西念寺は慶長3年(1598)開山白空大鉄上人により新宮町大字湊古屋敷横今(?)[1]の湊墓地の地に創建。 爾来約130年を経本堂庫裏ともに大破に及び檀徒に改築の志があったが、 土地狭溢(きょうあい)[2]のため当寺十有余浦の触首であった金内新左衛門氏をはじめ檀徒は 享保16年(1731)孟春[3]白浜空地を開き17世桂空住峰上人西の方の松樹を植え替え地の処となさんとしたが たまたま享保17年(1732)より翌年初冬まで大飢饉あり。 当寺檀徒死者300余人を出だせり。 同19年(1734)10月18世林空賢充上人晋山(しんざん)[4]同20年(1735)仲春 国守より替え地許可の貴書を受け、同仲夏庫裡創之 然るに以来浦倉(?)困窮甚だしくよって 住職金内氏と語り寛保3年(1743)2月朔日[5]より毎朝頭陀(ずだ)修行[6]延享2年(1745)12月 19世海空龍山上人晋山。 金内氏所勧の鰯漁銀子別取と頭陀料と合わせ延享4年(1747)9月本堂竣工。 また海空上人代の宝暦10年(1760)6月金内亦重郎氏他10方施主により鐘楼建立。 同12年供鐘鋳造。 22世嵓空洞文上人代文化3年(1806)山門建立。 31世温空俊良上人代明治41年本堂大修理。 大正7年境豊三郎氏観音新築。 32世鉄空俊英上人代昭和7年庫裡改築。 昭和37年安武研之輔氏梵鐘再鋳。 昭和41年33世崇空晋山。 同年新宮大三郎氏境内南側塀改築。 同44年進藤静一氏井戸水屋新築され山容整いしに時に 本堂すでに老朽著しく前住上人代より改築の話ありたるも昭和48年2月総代会において改築議決。 2回の檀徒総会において改築可決。 各檀徒赤誠(せきせい)[7]以て之に当たり遂に寄付総額1億5000万円に達し昭和49年4月8日竣工。 同50年(1975)5月25日本堂霊屋玄関書院鐘楼等竣工七堂伽藍輪奥の美を極む。 総工費1億4000万円(一戸平均寄附額21万円時に白米標準価格1瓩[8]260円) 総本山法主諦空英純猊下大導師のもと落慶法要。 法喜充満。

参考:『筑前国続風土記拾遺』

ひとくちメモ

西念寺は湊川の河口の東岸に伽藍を構えている。 そのすぐ西側は玄界灘。相島への渡船場がある。 境内は広く、鐘楼・観音堂・手水舎などがある。 特に鐘楼・山門はどっしりとした風格を感じる。 あいにく、本堂の扉は閉められており、『筑前国続風土記拾遺』に記載されている臺座より上6尺5寸の阿弥陀如来像・両脇侍の所在は確認できなかった。 残念。 湊川はレジャーボートの係留場となっているようである。 対岸からの景色もなかなか良い。

伊藤氏メモ本HP記載の筑前国続風土記拾遺と同様の記載が糟屋郡志にもあり。 [本尊阿弥陀仏古仏なり昔夜須郡阿弥陀峯より掘出せし像にて其の後志摩郡桜井村の伽藍にありしか桜井の神祠唯一神道となりしより当寺に移せりと云ふ]。 この本尊阿弥陀仏が現在本堂に安置されている阿弥陀仏であるとのことです。さすがに時代を感じるものでした。 なお、先年、九州産業大学から専門の先生が来られ、運慶・快慶の系列の仏師が彫ったものではなかろうかとの評をされたとの由。 現第34世。現本堂は昭和50年(1975)の建立。()

写真

  • 湊川
    湊川 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 山門
    山門 
  • 山門-本堂を背にして撮影
    山門-本堂を背にして撮影 
  • 山門に掲げられている彫刻
    山門に掲げられている彫刻 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 観音堂
    観音堂 
  • 鐘楼と観音堂
    鐘楼と観音堂 
  • 手水舎
    手水舎 
  • 由緒の案内板
    由緒の案内板 
  • 門前の風景-山門を背にして撮影
    門前の風景-山門を背にして撮影 
  • 梵鐘
    梵鐘 
  • 遠景-手前の川は湊川
    遠景-手前の川は湊川 
  • 湊川(左前方の山の向こうは新宮港)
    湊川(左前方の山の向こうは新宮港) 

筑前国続風土記拾遺』巻之42 裏糟屋郡 下 新宮浦の項

西念寺

稱名山攝取院と云。 浄土宗西山派福岡浄念寺の末なり。 開基を大鐡と云。 慶長3年(1898)に創立す。 同20年に湊村より爰に移せり。 本尊の阿弥陀仏(臺座より上6尺5寸)は古佛也。 昔夜須郡阿弥陀峰より掘出せし像にて、 其後志摩郡櫻井神社の内に在し堂舎に安置有しを、 後に當寺に迁す由也。 脇侍観音勢至(臺座より上5尺5寸)の像も有。 諸堂鐘楼あり。 田舎の寺院には頗好寺と云べし。

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