heritage 石原山(いしはらさん) 遍照院(へんじょういん) 高野山真言宗 ☆☆☆ 篠栗街道 石城三十三箇所観音霊場第2番 粕屋郡三十三観音霊場第24番札所 篠栗新四国八十八箇所霊場第62番札所

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〒811-2405 福岡県糟屋郡篠栗町篠栗3970-2   標高:53.7m 地図 GMAP 092-947-0247  ホームページ
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歴史

ホームページによれば、元は博多櫛田神社境内にあり、博多東長寺の末寺として遍照院もしくは神護寺という寺号であった。 明治初期の廃仏毀釈により無住となる。 明治36年(1903)に本尊であった庚申尊天(福岡県の重要文化財)とともに現在地に移転された。 もともと当地付近の岩穴に十一面観音が安置されており、「石原観音」として信仰されていたという。

近世、この付近は篠栗街道金出宿の東構口であった。

参考:『筑前國続風土記』の記事『筑前國続風土記拾遺』の記事

ひとくちメモ

門前の県道607号線は福岡市内より八木山峠を越えた飯塚市に向かう幹線道路である。 ここより八木山峠手前までは篠栗四国八十八箇所霊場のお寺が軒を連ねている。 この県道の運送トラック他交通量はかなりのものである。

本堂脇には巨大な弘法大師の銅像が立っている。 その周りはお百度場となっている。 また、その地下には弘法大師の足元を中心に円を描くように羅漢像が安置されている羅漢窟となっている。

本堂正面は休憩所があり、ベンチ・灰皿も設置されている。ありがたい。

伊藤氏メモ本堂の須弥壇横に置かれた大きなブロンズ製の大師像の尊顔(仏頭のように見える)が目に付く。これには訳がある。 当院の大正11年(1922)建立の初代大師像は大きさが日本一といわれていたが、戦時供出された。戦後になり、今一度同じサイズの像をとの関係者の悲願で造り始め、頭部分(尊顔)は出来たが、胴体部分が大き過ぎて、地元では製作不可能ということで結局沙汰止みとなった。このような経験を持つ尊顔である。なお、大師像そのものは、現在境内に建つコンクリート製の大師像に切り替えての完成をみている。(『新 篠栗八十八ケ所霊場めぐり』より)()

写真

  • 参道口
    参道口 
  • 弘法大師像
    弘法大師像 
  • 東構口の石碑(参道口より県道607号線を渡った所)
    東構口の石碑(参道口より県道607号線を渡った所) 
  • 山門
    山門 
  • 山門の扁額
    山門の扁額 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 出世大黒天堂
    出世大黒天堂 
  • 本堂正面の休憩処(ベンチと灰皿がありがたい)
    本堂正面の休憩処(ベンチと灰皿がありがたい) 
  • 地蔵堂
    地蔵堂 
  • 本堂
    本堂 
  • 不動明王像と大日如来像
    不動明王像と大日如来像 
  • 白髭稲荷大明神
    白髭稲荷大明神 
  • 境内の石仏
    境内の石仏 
  • 喚鐘
    喚鐘 
  • 櫛田神社の図(図の右下の木の横に「本地寺」とあるのが遍照院のことと思われる)
    櫛田神社の図(図の右下の木の横に「本地寺」とあるのが遍照院のことと思われる)
    『筑前名所図会』

『筑前國続風土記』の記事

『筑前國続風土記』巻之4 博多に下記の記事がみられる。

神護寺

眞言宗東長寺に属す。下同。櫛田社の隣にあり。

『筑前國続風土記拾遺』の記事

『筑前國続風土記拾遺』巻之40 表粕屋郡 下 乙犬村の項に下記の記事がみられる。

○観音堂

久徳に在。 昔の牛金山久徳寺の廃址と云。 聖観音(2尺斗)台座に金牛有。 郡中の札所なり。 傍に大師堂有。

関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)

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