仏旗 立花山 梅岳寺(ばいがくじ) [梅岳禅寺] 曹洞宗  BAIGAKUJI ZEN TEMPLE 立花道雪の墓所粕屋北部新四国八十八箇所霊場第46番札所 卍山道白 六所神社 伊藤氏参拝済

  • 本堂
    本堂 
  • 立花山古城図(左より順に梅岳寺・独鈷水・薬師堂・六所宮・独鈷寺が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵
    立花山古城図(左より順に梅岳寺・独鈷水・薬師堂・六所宮・独鈷寺が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵 
  • 立花山城址・独鈷寺 梅岳寺・六所社 解説(巻之9糟屋郡)
    立花山城址・独鈷寺 梅岳寺・六所社 解説(巻之9糟屋郡)
    『筑前名所図会』
住所・電話
〒811-0102 福岡県糟屋郡新宮町大字立花口1275 標高:69.8m MAP GMAP 092-962-1252
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立花家十七代が語る立花宗茂と柳川 | 立花家ゆかりの史跡 | 梅岳寺

歴史

境内の案内板の内容をそのまま記す。

当寺は山号を立花山(りっかさん)といい、曹洞宗に属します。 初めは花谷山神宮寺(かこくざんじんぐうじ)として、 元中2年1385室町幕府の三代将軍足利義満の時代に創立されました。 天正3年1575に立花城の城督(じょうとく)であった立花道雪(たちばなどうせつ)の母、 法名養孝院(ようこういん)をこの寺に埋葬し、母の法名と道雪の姓をとり立花山梅岳寺養孝院と改めました。

その後、天正13年1585年9月11日、道雪が筑後の陣中で病没しましたので、その遺体を梅岳寺の母のかたわらに埋葬しました。

天正14年1586豊臣秀吉の九州平定戦で戦功があった宗茂(むねしげ)は、秀吉から柳川11万石を拝領し、柳川の地へ移りました。 そして、その地に菩提寺として福厳寺を建立しましたが、立花の梅岳寺は道雪母子の遺骨を埋めた墓地なのでそのまま残し供養しました。

道雪の墓は正面向かって右側で、中央は母養孝院のものです。 一番左端の墓は薦野三河守増時(こものみかわのかみますとき)の墓です。 増時は道雪と主従の間柄で、死後も道雪と墓を並べると約束したとされています。

この梅岳寺は、昭和35年1月12日に境内の全てを対象に福岡県指定史跡となりました。

平成8年9月 新宮町教育委員会

参考:梅岳寺由緒(本堂脇の案内板)

ひとくちメモ

梅岳寺は立花山の南側の麓に伽藍を構えている。山門前の道は立花山の登山口である。 道雪母子の墓所は、本堂左手の奥にある。分かりづらいのでご注意ください。 本堂前には藤棚がある。時季になればさぞ綺麗なことであろう。

※梅岳寺前のR540を北西方向に300Mほど行くと立華山明鏡院 独鈷寺があります。こちらもお参りされてはいかがでしょうか?

伊藤氏メモ糟屋郡志に[開山を緒庵彭序と云ふ]とあり。現第21世。現本堂は、200年~250年ほど前の建立であろうとの由。藤棚をくぐっての本堂前という趣。()


写真

  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 山門
    山門 
  • 道雪の墓所
    道雪の墓所 
  • 道雪の墓所の囲い入口
    道雪の墓所の囲い入口 
  • 梵鐘
    梵鐘 


梅岳寺由緒(本堂脇の案内板)

当寺が今から五百八十余年前元中二年足利時代(足利義満の時)の開創にして初め 花谷山神宮寺と称す。

その後元亀元年立花道雪が立花城主となるに及びその母を境内に埋葬し法名を 養孝院殿恕栄妙忠大姉と号し莚内の医王寺より緒庵和尚を迎えて開祖としその法名と 立花道雪の姓を取り寄名を禅宗立花山梅岳寺養孝院と改む。

その後天正十三年立花道雪筑後の陣中にて卒去の時遺言して立花に帰葬し遺体を 母の墓の傍に埋めさしむ。 道雪の子立花宗茂の時に至領地を柳川に転ぜられるに及び梅岳寺も柳川に移さる。 (今の福厳寺)

然れ共眞骨を埋むる地であれば寺名はそのままに存するも寺運衰へ僅かに両霊 を供養するのみ。

こ此の時にあたり元禄十年当国黒田藩主綱政の婦人(立花宗茂の孫、道雪の曽祖父にあたる) 道雪の影像及び白銀五百両其他法器佛像など寄附し当時天下に名高き加賀の国大乗寺(石川県) 卍山(まんじさん)道白禅師を招請し本寺の中興の祖とし立花山梅岳寺の寺号を復し黒田家 より年々供養米の寄附あり。柳川藩主自ら墓参する恒例とした。

伝承宝物品

一、本尊観世音菩薩 高僧恵心僧都作 右宝永二年四月卍山禅師入院の日黒田藩主綱政婦人寄附

一、達磨大師 運慶作 右宝永二年四月 黒田藩主綱政婦人寄附

一、立花道雪木造 運慶作 右元禄十年 黒田藩主綱政婦人寄附

一、其他宝物品多数に付省略